第14回 久野先生と玄孫が語る「明治元勲・板垣退助」

平成30年(2018)は、明治維新150年・板垣退助百回忌。明治維新の精神を顕彰する勉強会を予定しております。 8月は、久野潤先生を講師にお迎えして明治の元勲・板垣退助に関して分かりやすく勉強していきます。第2部は板垣退助の遺著『立国の大本』に訓点註釈を施したことで知られる、退助玄孫の高岡功太郎氏をお迎えしてのトークセッションを予定しております。


【勉強会】
●とき:平成30年8月25日(土)
   14:00~(開場)
●ところ:芦屋市民センター
     兵庫県芦屋市業平町8-24
     (2階203号会場)


●主催:日本文化を学ぼう会

●協賛:一般社団法人 板垣退助先生顕彰会

久野先生と玄孫が語る「明治元勲・板垣退助」ご案内フライヤー.PDF

(裏面)板垣百回忌ご案内フライヤー.PDF


芦屋で板垣退助勉強会

本年は明治維新150年・板垣退助百回忌。明治維新の精神を顕彰する勉強会を予定しております。

 

板垣の孫ゆかりの地・芦屋で勉強会

兵庫県芦屋市は、板垣退助の孫・乾一郎が住んでいたゆかりの場所です。


乾一郎牧師の出征写真

兵庫県芦屋市は、板垣退助の孫・乾一郎(1908-2000)が昭和12年の支那事変で応召出征するまで牧師を務めていたルーテル芦屋教会のすぐ近くにあたるゆかりの場所です。除籍謄本によると乾牧師は、板垣退助の次男・乾正士の長男にあたります。乾牧師は身長六尺、柔道二段の猛者。高知第44聯隊(朝倉聯隊)の第六中隊に配属され川沙鎮という所から敵前上陸を果たし、羅店鎮の合戦で負傷。その様子は当時の新聞でも5回に渡って報道されました。

 

明治維新の精神が、王政復古の大号令のもと神武肇国の基礎に立ち返って国家の枠組みを考え直し、近代国家へ転換していくことであったとするならば、私たちが板垣退助の令孫ゆかりの地で勉強会を行うことはとても意義のあることではないでしょうか。


芦屋教会でのクリスマスと乾牧師(昭和11年(1936)12月25日)

「応召出征」前年のクリスマス『芦屋ルーテル教会』で撮影。中央にあるのが当時のクリスマス・ツリー。左の壁にはイエス・キリストの肖像。
『兵庫縣武庫郡精道村土地寳典』(昭和12年8月編纂)芦屋図書館蔵によると、乾牧師の教会のあった兵庫縣武庫郡精道村芦屋 寺田24番地は、現在の住所で言うと兵庫県芦屋市西芦屋町2-3で、現在は「NEOダイキョー芦屋川」というマンションになっている辺りになります。


赤丸の箇所が教会のあった場所(『精道村土地寶典』)

軍歴簿によると乾牧師は、高知城東中学校を卒業後、日本ルーテル神学専門学校に学び、牧師と英語教師の資格を得て熊本へ赴任。

 

盲目の牧師・石松量蔵のもとで副牧師として経験を積み、兵庫県の芦屋で牧師となりました。乾牧師はこで召集令状を拝し奉り、海路室戸沖を通って帰高、高知朝倉歩兵第44聯隊・第六中隊に配属されて御出征されたことがわかります。


板垣退助五十回忌墓前祭(昭和43年12月8日)

左から乾富美子、乾(高岡)眞理子、乾一郎、板垣直磨。板垣退助五十回忌墓前祭では、乾家、板垣家、浅野家、小山家など、子孫が集められて法要(神道式)が行われました。
除籍謄本によると板垣退助の子のうち、乾を名乗ったのは、次男の正士と五男の六一。六一はのちに板垣姓に復姓したので、板垣退助の子で乾を名乗ったのは正士のみ。正士には娘二人と長男の一郎がおり、一郎は一人娘しかおられず高岡家に嫁がれた

ので、現在、乾家のお墓は高岡家が管理されています。


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投稿日:2018/07/19

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