大楠公殉節の地へ (令和4年7月12日)


本日は大楠公の湊川殉節の日。奇しくも東京では安倍元首相の葬儀の日となった。

関西白鴎遺族会の代表であり、園田藩城代家老の末裔・山田正克さまからご縁を賜り、湊川神社の垣田宮司を紹介して頂いてより早くも幾歳。世はコロナ禍に見舞われ、例祭も神職のみでの年を過されたが、本年漸く例年通り齋行の運びとなった。

朝から涙雨。いや豪雨と言うべき雨の中、いざ湊川へ。
江戸時代、大楠公精神は水戸学を通して幕末の志士たちの心の支柱、王政復古の要を為した。板垣退助は、中岡慎太郎を介して、小松帯刀、西郷隆盛らと薩土討幕の密約を結び、それが功を奏して、鳥羽伏見の戦いで土佐藩は緒戦から参戦した。そして、この土佐藩の参戦が戊辰戦争を勝利へ導くことになる。


容堂公の静止を振り切り、藩兵に攻撃の指示を最初にかけた山田喜久馬橘清廉(山田平左衛門)、山地元治らは、土佐に流れた大楠公の末裔であると史書に記されている。
山田喜久馬の家紋は大楠公と同じ「菊水」で、山田喜久馬の先祖と板垣の先祖は血縁関係にあるので、私にも非常に微々たるかも知れないが、大楠公の血が流れている。

湊川神社に着くと「お待ちしておりました。楠正浩さんがお越しですよ」と神社の方が声を掛けて下さった。


全国楠同族会の楠正浩さんは、この例大祭で楠家の末裔代表として、本日は上座に召されて太玉串を奉奠された。正浩さんは久しくNPO法人高知板垣会の理事を務めて頂いている仲でもある。
さらに言えば、楠さんのご先祖は、江戸時代土佐藩の御典医をつとめられ、明治以降は初代高知県医師会会長をされた。その楠病院に、私の曾祖母が奉職していたと言うご縁が重なる。そんな経緯もあって京都祇園の薩土討幕の密約紀念碑除幕式には、来賓として御臨席を賜った。


来週、7月16日は、板垣の命日。楠さんとは高知で再びお会いすることになる。本日の例大祭は、コロナ禍後の久々の齋行とあって、176人の出席となった。直会がお開きになると、あれ程降っていた雨が、すっかり晴れ上がった。

その後、楠さんを通じて御高配を賜り、普段は入れない場所、大楠公殉節の地を学芸員の方の先導によってご案内を受け、史蹟に関する神道的解釈ならびに学術的ご説明を賜った。

大楠公の精神が水戸学によって明治維新を齎し、民撰議院設立建白書が帝国議会を創る発端となった。

大楠公殉節の地の最正面には、江藤新平奉納の石燈籠が建つが、佐賀の乱に散った彼は板垣が提出した民撰議院設立建白書に名を連ねた一人である。

本日、安倍先生の葬儀にあたる日に、大楠公殉節の地を詣で、国家の為に尽くした先人たちの精神を継承せねばとしみじみ感じた次第。(理事長談)


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投稿日:2022/07/12

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