9.護憲派が持ち上げる植木枝盛像は歴史偏向である

植木枝盛は非武装中立論なんか唱えていない


(『緊急事態条項と植木枝盛(護憲派の欺瞞に注意せよ・植木枝盛先生は非武装中立を唱えず)』髙岡功太郎論述より)


自由民権運動を扱った公立の記念館を訪ねた時のこと、幕末戊辰戦争を経て明治期の憲政確立、国会開設にいたる経緯が資料映像として作られ、それを視聴した。

ところが、そこでは驚愕すべきシーンが存在した。

その資料映像では、帝國憲法の発布に板垣退助は憤り反対したことになっていたのである。

…そして、大東亜戦争の敗戦を経て、GHQによって作られた「日本国憲法」に対し、自由民権家たちが作りたかった憲法がようやく出来たのですと、ハッピーエンドのように締めくくられていたのである。

私は椅子から転げ落ちるほど驚き、いや唖然とし、茫然としたのを記憶している。

さらに、その公立の記念館では、植木枝盛の書斎が移築されており、ここが『日本国憲法』が起草された部屋ですとの説明を受けたのである。


その記念館では、「GHQの民政局によって作られ『憲法』の名のもとに押し付けられた占領統治法の如きもの」が「植木枝盛の書斎で作られた」ことにされていたのである。その時、説明して下さった方は、「この壁の赤い色は、中々お洒落でしょ…」などと吞気なことを言っておられたが、私はとんでもない歴史の偏向、あるいは捏造が公立の記念館で堂々と起きているのではないかと危惧し、慄然とせざるを得なかった。

(※ちなみに植木枝盛の旧宅は、私の祖父の家の2軒隣である。…ある日、訪ねていった記念館で「あなたの祖父の家の2軒隣で『日本国憲法』が起草されたんです」と突然云われても誰が信じるだろうか)


私のような危機意識を持っている人間ではなく、例えば小学生が校外学習でこの記念館を訪れ、資料映像を観て、この移築された書斎をみれば、その説明をそのままスポンジが水を吸収するかのように信じるのではないだろうかという危惧である。


史実としては、大日本帝國憲法の発布に際し、自由民権家たちは『これでやっと国会開設への基礎が整った』と祝賀会を開いているのである。

さらに、国会議事堂の中に板垣退助の銅像が建立され、それは、今も厳然とそこにあるが、それが建てられた経緯をご存知だろうか。

大日本帝國憲法の発布の五十周年を期して、憲政の功労者を顕彰し、銅像を建立しようではないかとなった時、選ばれたのが「伊藤博文、大隈重信、板垣退助」なのである。かくて、大日本帝國憲法の発布の五十周年の祝賀に、この像が建立されたのであるが、この公立記念館の歴史観に沿えば「大日本帝國憲法の発布に反対した人物の銅像を五十周年の祝賀として建立した」ということになるが、そう強弁するおつもりなのだろうか。


…ところで、昨今は私も微力ながら歴史勉強会を通じて「板垣退助の実像」や「真の自由民権運動とは何か」を講演しつづけてきた。すると、その記念館も「板垣退助では都合が悪い」と判断したのか、「植木枝盛」とその起草による『東洋大日本国国憲案』を推すようになってきた。これこそが、自由民権家たちの作りたかった憲法であると。「植木枝盛先生の作った憲法案が基礎となって今の『日本国憲法』が出来た。だからこれを堅持しないとならない。これを一つでも変えたら戦争が起こる」と。

誰に云われたのか、それを洗脳のように堅く信じている人がいた。

そもそも、自由民権家たちが起草した憲法は、植木枝盛のものだけではない。各結社が起草したものの中の一つにすぎないし、植木の草案は駄目だと物言いがあって、発陽社の北川貞彦が別に憲法を起草し直したのではなかっただろうか。…経緯を説明すると話が長くなるので、すべてを素っ飛ばし、百歩譲って、植木枝盛の憲法があったとしよう。

そしてこれが、護憲家の弁のとおり、今の「日本国憲法」になったとしよう。…そこで、私がこの憲法の九条の部分を変更しましょうと提案したとする。すると「そんなことをすれば戦争が起きる!」と主張する人が出現するのである。

いや、平和を守るために軍備は必要でしょうと説明しても、平行線を辿るのである。


改めて云うまでも無いが『憲法九条を守り堅持すること』は、かえって敵国に侮られ侵略戦争を招くことになると肝に銘じて教訓とすべきだろう。

さらに云えば板垣退助は非武装中立論なんか唱えていないし、植木枝盛だってそんなことは一言も言っていない。


何を馬鹿な事を云うか、「植木枝盛先生の作った憲法案が基礎となって今の『日本国憲法』が出来た。だからこれを堅持しないとならない。これを一つでも変えたら戦争が起こる」とめくじらを立てる人に言いたい。あなたは、一度でも植木枝盛起草の『東洋大日本国国憲案』を読んだことがあるのかと。何処かの講演会で誰か偉い先生の解説を孫引きして、分かったつもりになっているだけではないのかと。


「第十一條、日本聯邦は日本各州に對し外國の侵寇を保禦するの責あり」「第二十一條、宣戦講和の権は聯邦にあり」「第二十六條、日本聯邦に常備軍を設置するを得」「第三十四條、日本各州は現に強敵を受けて大乱の生じたるが如き危急の時機に際しては聯邦に報じて救援を求ることを得、又た他州に向て應援を請ふことを得、各州右の次第を以て他州より應援を請はれし時、眞に其危急に迫るを知るときは赴援するを得、その費は聯邦に於て之を辨す」「第三十五條、日本各州は常備兵を設置するを得」「第三十六條、日本各州は護郷兵を設置するを得」「第七十八條、皇帝は兵馬の大権を握る宣戦講和の機を統ぶ。他國の獨立を認むると認めざるを決す。但し和戦の決したるときは直に立法院に報告せざる可からず」「第七十九條、皇帝は平時に在り立法院の議を経ずして兵士を徴募するを得」「第八十五條、皇帝は諸兵備を爲すを得」「第八十六條、皇帝は國政を施行するが爲めに必要なる命令を發する事を得」「第八十八條、皇帝は聯邦行政府に出頭して政を乗る」「第八十九條、皇帝は聯邦行政府の長たり。常に聯邦行政府の権を統ふ」「第九十條、皇帝は聯邦司法廳の長たり。其名を以て法権を行ふ。又法官を命ず」「第九十六條、日本國皇帝の位は今上天皇睦仁陛下に属す」「第百廿一條、聯邦立法院は聯邦の軍律を定むることを得」「第百廿三條、聯邦立法院は聯邦に関する兵制を議定することを得」「第百六十五條、日本聯邦行政権は日本皇帝に属す」「第百六十六條、日本聯邦の行政府は日本皇帝に於て統轄す」「第百七十一條、聯邦行政官は皇帝の命に従ふて其職務を取る」「第二百六條、國家の兵権は皇帝に在り」「第二百七條、國軍の大元帥は皇帝と定む」「第二百八條、國軍の将校は皇帝、之を撰任す」「第二百十四條、内外戰乱ある時に限り、其地に於ては一時、人身自由、住居自由、言論出版自由、集會結社自由等の權利を行ふ力を制し、取締の規則を立つることあるべし。其時機を終へは必す直に之を廢せさるを得す」「第二百十五條、戰乱の爲に已むを得ざることあれば、相當の償を爲して民人の私有を収用し、若くは之を滅盡し、若くは之を消費することあるべし。其最も急にして豫め本人に照會し、豫め償を爲す暇なきときは、後にて其償を爲すを得」「第二百十六條、戰乱あるの場合には、其時に限り已むを得さることのみ法律を置格することあるへし」(植木枝盛起草『東洋大日本国国憲案』より)


緊急事態条項もあるし、天皇の統帥権、国防軍の設置も総て、植木枝盛の憲法案に記載されている。


日本陸軍の基礎を築いたのは板垣退助だし、徴兵令を布いたもの板垣退助だ。戦前の教育ではちゃんとそれを教えていた。戦後教育はまるでそれをネガティブなもののように扱い、真の板垣像からどんどん離れて、まるで別人のように仕立てられてしまった。『自由の為に戦い、刺された時に「板垣死すとも自由は死せず」と叫びました』ぐらいの薄っぺらな歴史観しか教えない学校教育では駄目だ。そんな勝手に作られた人物像を通じて評価されることを板垣も植木枝盛も望んでいないだろう。
戦後自虐史観の亡霊にまみれ、『日本国憲法』は素晴らしいというような美辞麗句に騙されて大局を見失うこと勿れ。(理事長・髙岡功太郎論述)


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2018/01/01

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