3.山鹿流軍学

山鹿流は、山鹿素行(1622-1685)が播磨国赤穂藩へお預け身となった時に赤穂藩に伝えられた。

 

赤穂藩改易の後もこの兵学は伝えられ、幕府が開設した講武所の頭取兼兵学師範役に窪田清音(くぼた すがね, 1791-1867)が、就任したことにより、幕府兵学の主軸となった。

窪田清音から若山勿堂(わかやま ぶつどう, 1802-1867)に伝えられた。窪田清音の兵学門人は三千人と云われ、退助の他に、谷干城、勝海舟らの逸材が学んだ。

 

清音の先祖も退助と同じく、甲斐武田家の旧臣であり、甲州流軍学、越後流軍学にも精通していた。清音は、山鹿流の伝統的な武士道徳に重点を置いた講義に加え、幕末の情勢に対応した練兵の必要性を唱え、『練兵新書』、『練兵布策』、『教戦略記』などを著している。

 

赤穂山鹿流伝系

赤穂山鹿流の伝系は、

∴山鹿素行→大石良重→菅谷政利→太田利貞→岡野禎淑→清水時庸→黒野義方→窪田清音→若山勿堂→板垣退助

となる。

参考文献:『山鹿素行兵法学の史的研究』

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