板垣退助の住所の変遷

江戸時代

①高知城下中嶋町で生れる。(天保8年4月17日~)
  ※現在地・高知県高知市本町2-3-10(高野寺)


②土佐国土佐郡神田村に謫居(安政3年8月8日~)


③恩赦により高知城下中嶋町の自宅に復帰。


④江戸留学


⑤高知城下中嶋町の自宅に帰郷。


⑥江戸に兵学留学
土佐藩中屋敷(築地藩邸)※天狗党を匿った頃
  ※現在地・京橋図書館


⑦高知城下中嶋町の自宅に帰郷。
  ※帰郷の途中、京都で薩土討幕の密約を結ぶ
  ※土佐で藩兵を率いて軍事演習


⑧戊辰戦争従軍


 東京家族引外輪住居勝手次第被仰付(明治2年10月6日~)

明治4年廃藩置県以降

①高知市中嶋町44番屋敷(明治4年~)※板垣自身は東京府木挽町(銀座邸・築地邸とも称す)に寄留。
  ※現在地・高知県高知市本町2-3-10(高野寺)


②東京府(第1大区10小区)木挽町1丁目24番地(明治4年頃~征韓論争の頃)
  これは東京寓居で本邸は高知のまま)
  ※現在地・東京都中央区銀座1-24(銀座タワー、万安楼)
  明治5年9月16日、三女猿が誕生。


③高知市中島町69番屋敷(※44番屋敷と同じ場所だが区画整理による屋敷番。下野して立志社を作った頃)
  明治7年9月21日、側室・清女が東京木挽町邸で死去。(東京・高源院に埋葬)


④明治8年、参議に復帰し自身は東京へ。

  明治9年6月13日、井上覚之進三男栄三郎が板垣退助の養子となった後、分家し板垣栄三郎と名乗る。
  明治9年6月15日、長女兵が板垣栄三郎と婚姻。


⑤高知県土佐郡(第九大区一小区)潮江村新田1番地(明治10年10月31日、参議を辞めて高知に戻った頃)
  ※以後しばらく板垣自身は高知本邸に住す。

  明治12年12月2日、長女兵が板垣栄三郎と離別復籍
  明治13年8月1日、長女兵が谷重中と婚姻
  明治14年3月5日、長女兵が谷重中と離別復籍
  明治15年4月6日、岐阜遭難事件(板垣暗殺未遂事件)起きる。
  明治15年     板垣洋行。パリでルイ・ヴィトンの鞄購入。髭を伸ばし始める。
  明治16年1月29日、次女軍が宮地茂春と婚姻
  明治16年7月31日、長女兵が片岡光房(熊之助)と婚姻


⑥東京府芝区芝金杉町(明治17年4月~  )※絹と同居開始

  明治17年5月頃、「明治17年板垣暗殺未遂事件」起きる。
  明治18年1月12日、高知県土佐郡(潮江村)第九大区一小区潮江村新田1番地へ戻る。

  ※明治18年1月12日より絹を同伴して高知へ帰郷。当時の戸籍には「妾」欄があるため、
  同日側室・絹を「妾」として入籍
  ※長崎県西彼杵郡下長崎村小島郷(長崎恵美須町13番屋敷)荒木伊三次の長女・絹。
   板垣は二階寝室、一階は鉾太郎寝室で就寝。
   明治18年6月28日、寄留地(高知・唐人町の別宅)にて正室・鈴子病死(板垣山に埋葬)
   明治18年10月、絹が孫三郎を生む
   明治19年7月2日、孫三郎が病死(板垣山に埋葬)
   明治20年1月11日、側室・政野と離別


⑦東京府麻布区麻布今井町35番地(明治20年5月頃)
  ※現在地・東京都港区六本木4-2-20(パークサイド六本木)附近
  板垣授爵の沙汰を拝辞し、授爵論争が起きる。


⑧明治20年8月20日、東京府芝区高輪南町18番地華族後藤象二郎方へ同居寄留
  (別籍(※法務局の副本)では明治20年12月14日より寄留と記され役所の正本と差異がある)
  ※高輪3丁目(品川プリンスホテル、グランドプリンスホテル高輪、京急EXイン品川駅前)


⑨東京市麻布区麻布材木町63番地(明治25年3月20日~明治29年10月10日)
  ※東京都港区六本木6-4-1附近(長府藩毛利家上屋敷跡、ハリウッド美容専門学校、六本木ヒルズノースタワーの向い附近)


⑩東京市芝区愛宕町2丁目1番地(明治29年10月10日~明治44年10月13日)
  ※現在地・東京都港区西新橋3-1-10附近


⑪東京市芝区芝公園第7号地8番(明治44年10月13日~薨去)
  ※現在地・東京都港区芝大門1-10-11附近(芝大門センタービル)


※現在地特定協力・伊藤璃佳
参考文献『地図と愉しむ東京歴史散歩』竹内正浩著、中公新書、2015

お問い合わせはこちら