9.オランダ式騎兵術

板垣退助は、元治2年(1864)4月、江戸へ兵学修行へ出て、江戸で幕臣・倉橋長門守(騎兵頭)や深尾政五郎(騎兵指図役頭取)からオランダ式騎兵術を学んだ。はじめは私費で留学し、慶応元年(1865)1月14日から藩費での留学となった。

 

オランダ式と云っても当時、ヨーロッパではナポレン流軍学に基づくフランス式が盛んでそれをオランダ語に翻訳したものが、長崎の出島経由で日本にもたらされたもの。

 

幕府は、慶応3年(1867)シャルル・シャノワーヌ大尉らを軍事顧問に招聘し、兵制をフランス式に変更するが、退助が江戸で学んだ頃は、オランダ式であった。兵制変更は、用語がオランダ語からフランス語に変った程度で大きな混乱はなかったといわれる。

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