8.源家古流「調息流」馬術

馬を疲れさせず、遠駆けさせる馬術で、のちに西洋式騎兵隊創設にこの素養が役に立ったと言われる。

 

『田村久井談話筆記』によれば、明治初年に騎兵を置いたのは幕府(静岡藩)、紀州藩、土佐藩のみで、のちに桂太郎が陸軍次官の時、板垣に面会し土佐騎兵編成の時のことを尋ねた時「土佐は三面山を負い他国より侵入を受くる事容易なれば、国境に騎兵を置き伝令などに必要なれば国に事あらんと察し、斯く早く置きたり」と答えている。その数は最初、三十騎ばかりであったが、要馬術を訓練させたためその動作は甚だ優れていたという。

 

明治4年(1871)、薩摩、長州、土佐へ御親兵要請(近衛師団の前身)の際、騎兵の献上が出来たのは土佐藩だけで、板垣の功績によるものが多い。

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