忘年会前にせっかくの京都ですので、ゆかりある場所を散策。
先ずは京都「円山公園」の『坂本龍馬・中岡慎太郎 両先生像』。紅葉が綺麗でした。
この銅像は、夕張炭鉱の支配人で、自由民権運動家であった、今幡西衛や旧土佐藩関連の有志が、維新の功労者の銅像を建立せんと志し、今幡は当時、世にあまり知られていなかった「龍馬」の伝記『雋傑坂本龍馬』を編纂して浄財を集め、建立されたものです。この像の建立にあたって試作されたもの(小像)は、霊山護国神社の「坂本龍馬・
土佐藩邸址の近くで今年は忘年会。往時を偲びます。
京都市中京区の「京都市立立誠小学校」の北東角にある『土佐藩邸跡碑(昭和43年11月・京都市建之)』なお、土佐藩邸の西側に鎮座する「土佐稲荷・岬神社」に参詣する場合には、町人も藩邸内を通り抜けすることが許されていたそうです。
円山公園の紅葉。とても綺麗でした。
何気無く、京都三条大橋の「擬宝珠」を見ると「洛陽三條之橋、至後代化慶往還人盤石之礎。入地、五尋切石之柱、六十三本。蓋於日域石柱橋濫觴乎。天正十八年庚寅正月日。豊臣初之御代奉。増田右衛門尉長盛造之」とありました。歴史を感じます。
「長州藩邸跡地」は、現在「京都ホテル・オークラ」になっております。その「京都ホテル・オークラ」の北西角にある『桂小五郎(木戸孝允)銅像(平成7年3月21日・京都桂ライオンズクラブ結成30周年記念・制作 江里敏明)』です。
(写真:左)京都市中京区にある『武市瑞山先生寓居之碑』です。横には「ちりめん洋服 発祥の地碑」もあります。
(写真:右)京都市中京区にある『佐久間象山先生・大村益次郎卿遭難之碑 北へ約壱丁(昭和10年壱月吉辰・新三浦、白井凌三 建之)』遭難地の南約壱丁の地に建てられた碑です。
京都市中京区にある『大村益次郎卿遭難之碑』(左)と、『佐久間象山先生遭難之地碑』(右)