尊皇の有志たちと忘年会・京都(平成26年11月29日)

本日は忘年会。本年は京都に全国から志ある方々が集結。東京からは小川榮太郎先生、関東からは大川原明(アラーキー)さん、久野潤先生、京都霊山護国神社清掃奉仕の会代表・山中浩市先生ら多士済々が集まっての忘年会となりました。来るべき板垣退助百回忌を、如何に斎行すべきかを思案しつつ。

忘年会前にせっかくの京都ですので、ゆかりある場所を散策。


先ずは京都「円山公園」の『坂本龍馬・中岡慎太郎 両先生像』。紅葉が綺麗でした。

この銅像は、夕張炭鉱の支配人で、自由民権運動家であった、今幡西衛や旧土佐藩関連の有志が、維新の功労者の銅像を建立せんと志し、今幡は当時、世にあまり知られていなかった「龍馬」の伝記『雋傑坂本龍馬』を編纂して浄財を集め、建立されたものです。この像の建立にあたって試作されたもの(小像)は、霊山護国神社の「坂本龍馬・


中岡慎太郎両先生奥都城」の前にあります。初代の像は、先の大戦で金属供出の折に応召出征して「空の台座」となってていたものが惜しまれて戦後、昭和37年になって再建されました。今幡西衛は、宇田友猪に依頼して『板垣退助君伝記』を著させた人物でもあります。

土佐藩邸址の近くで今年は忘年会。往時を偲びます。

京都市中京区の「京都市立立誠小学校」の北東角にある『土佐藩邸跡碑(昭和43年11月・京都市建之)』なお、土佐藩邸の西側に鎮座する「土佐稲荷・岬神社」に参詣する場合には、町人も藩邸内を通り抜けすることが許されていたそうです。


円山公園の紅葉。とても綺麗でした。


何気無く、京都三条大橋の「擬宝珠」を見ると「洛陽三條之橋、至後代化慶往還人盤石之礎。入地、五尋切石之柱、六十三本。蓋於日域石柱橋濫觴乎。天正十八年庚寅正月日。豊臣初之御代奉。増田右衛門尉長盛造之」とありました。歴史を感じます。

「長州藩邸跡地」は、現在「京都ホテル・オークラ」になっております。その「京都ホテル・オークラ」の北西角にある『桂小五郎(木戸孝允)銅像(平成7年3月21日・京都桂ライオンズクラブ結成30周年記念・制作 江里敏明)』です。


(写真:左)京都市中京区にある『武市瑞山先生寓居之碑』です。横には「ちりめん洋服 発祥の地碑」もあります。

(写真:右)京都市中京区にある『佐久間象山先生・大村益次郎卿遭難之碑 北へ約壱丁(昭和10年壱月吉辰・新三浦、白井凌三 建之)』遭難地の南約壱丁の地に建てられた碑です。


京都市中京区にある『大村益次郎卿遭難之碑』(左)と、『佐久間象山先生遭難之地碑』(右)


本日は多士済々が集まっての忘年会となりました。しかし中岡慎太郎先生、板垣退助ゆかりの『薩土討幕の密約』に関する石碑は未だ京都にはありません。歴史を変えた戊辰戦争の起点となるこの記念碑を、明治維新150年・板垣退助百回忌までに必ず建立したいと思っております。今後とも御協力よろしくお願い申し上げます。


前へ次へ
投稿日:2014/11/29

お問い合わせはこちら