板垣退助曾孫・板垣正明さん逝去(令和6年1月12日)

板垣退助曾孫・板垣正明さん逝去。


【訃報】
板垣退助曾孫・板垣正明さん(守正さんの長男)が、昨年(令和5年)12月、静岡県伊豆の国市奈古谷の自宅で亡くなられました。享年74歳。(※写真左がありし日の板垣正明さん)

父・板垣守正さんが昭和26年(1951)7月16日、鶴巻の温泉地で亡なられた時、正明さんは生れたばかりの1歳でした。そのため父の記憶は全くなく、間もなく母・桃子さんの実家・福士家のある


岩手県へ。幼少期から青年期を岩手・青森で過ごされました。

母子家庭で育ち、生活を支えるため大学への進学を断念し就職。岩手では「板垣」という姓はA級戦犯として法務死された板垣征四郎さんと同じ名字のため「戦犯の子だろ」として嫌がらせを受けること度々。そっちの「板垣」じゃなくて「板垣退助の板垣だ!」云うと「なんだ官軍の子か!」とやっぱりいじめられるという日々で「板垣という名にコンプレックスがある」とおっしゃっておられました。(今は違うと思いますが、当時は「官軍」と聞くだけで壮絶ないじめがあったそうです)

また、昨今の歴史小説・漫画の世界においては、フィクションで板垣を悪辣に描いたものがあり、それらのイメージが追い討ちをかけたのは事実でしょう。


そんな訳で、岩手を飛びだし東京へ。それから都会の喧騒を避け、祖母(板垣鉾太郎の妻)の出身地である静岡を気に入り、伊豆へ移住されました。

「田舎育ちの私には、東京の空気が馴染めませんでした」と、東北訛りの朴訥とした口調で、よく仰っておられました。

現在、小山家を通じて高知県の自由民権記念館に寄託(寄贈ではない)されている日本人購入現存最古のルイ・ヴィトンや、爵位の位記なども、正明さんの手元にあったもので、鞄のラシャ紙の張り替えなども自分でされたとのこと。

独身で子供もいないため後事を考え、貴重な遺品が散逸しないように、当時、三井物産にお勤めだった小山家(退助五女・良子さんの子孫)に託され保管をお願いされたものです。弊会は明治維新150年・板垣退助百回忌記念事業に際しては、板垣退助のDNA解析にご協力を賜りました。謹んで哀悼の洵を捧げます。(事務局より)


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投稿日:2024/01/12

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