本日は大東亜戦争の終結より70年目の節目の日。
昨年の決意を胸に本年は京都霊山護國神社へ参拝。嘉永6年以降皇国の為に、国事に勤しみ散華された勤皇の忠臣・護国の英霊に感謝と哀悼の洵を捧げました。
本年は終戦70年。3年後は戊辰戦争150年・板垣退助は百回忌を迎える。しかし、昨今の日本を見ればどうか。戦後史観は変節を極め板垣退助に対
孫もこう言ってますよ」と云う、いわば錦の御旗として利用しようとしているのに過ぎない気がしている。ゆえに記者は自分の意見に沿った発言を引き出そうと、何度も同じ質問をしたりしてくる場合がある。板垣家はそういう状況を過去に何度も遭遇してきたために、今や滅多に表に出ることはない。
しかし、明治維新150年・板垣百回忌という節目においては「誰も表に出ない」という事態は避けねば、それこそ、欠席裁判のように事が進んで、取り返しのつかない事態が起きてしまうことになろう。歴史を捩じ曲げ、あるいは都合のよい処だけをつまみ喰いされることを阻止していかねばならない。その上で板垣退助百回忌を敢然と起なわねばならない。それこそ先祖の名を汚すことにならぬようにに細心の注意を払って、板垣精神を真に理解し顕彰して下さる同志たちと粛々と事を進めて行かねばならない。百回忌といっても名ばかりの派手派手しいものがしたい訳ではなく、赤誠の精神のこもったものを斎行しようではないか。