終戦70年・京都霊山護國神社昇殿参拝(平成27年8月15日)

本日は大東亜戦争の終結より70年目の節目の日。

昨年の決意を胸に本年は京都霊山護國神社へ参拝。嘉永6年以降皇国の為に、国事に勤しみ散華された勤皇の忠臣・護国の英霊に感謝と哀悼の洵を捧げました。

本年は終戦70年。3年後は戊辰戦争150年・板垣退助は百回忌を迎える。しかし、昨今の日本を見ればどうか。戦後史観は変節を極め板垣退助に対


する人物像も著しく歪められてきた。私がメディアに対して発言しても、一番言いたい部分は削除され、その前後の雑談程度に応じた「ふんわり」とした、毒にも薬にもならない部分のみを取り上げて、コメントとして採用する場合が殆どだ。彼らは彼らの主張があって、最後にそのアリバイとして「ご子

孫もこう言ってますよ」と云う、いわば錦の御旗として利用しようとしているのに過ぎない気がしている。ゆえに記者は自分の意見に沿った発言を引き出そうと、何度も同じ質問をしたりしてくる場合がある。板垣家はそういう状況を過去に何度も遭遇してきたために、今や滅多に表に出ることはない。


しかし、明治維新150年・板垣百回忌という節目においては「誰も表に出ない」という事態は避けねば、それこそ、欠席裁判のように事が進んで、取り返しのつかない事態が起きてしまうことになろう。歴史を捩じ曲げ、あるいは都合のよい処だけをつまみ喰いされることを阻止していかねばならない。その上で板垣退助百回忌を敢然と起なわねばならない。それこそ先祖の名を汚すことにならぬようにに細心の注意を払って、板垣精神を真に理解し顕彰して下さる同志たちと粛々と事を進めて行かねばならない。百回忌といっても名ばかりの派手派手しいものがしたい訳ではなく、赤誠の精神のこもったものを斎行しようではないか。


戦後70年を期して安倍首相が『70年談話』を出された。時代は歴史戦に突入し、間違った戦後史観を糺そうと首相はして下さっている。それは、「真の板垣像を顕彰」しようとしている我々にとっても強く響き、共感できるものばかりであった。安倍首相が総理であるならば、きっと日本を良くしていける。そういう思いを胸に、昇殿参拝のあと直会をかねて東山の「おめん」へ。この辺は、かつて板垣退助が中岡慎太郎の仲介によって、薩摩の小松帯刀、西郷隆盛らと「薩土討幕の密約」を結んだゆかりの場所の近くである。幕末の勤皇の志士たちが、天下国家を語ったように、今我々は、平成の世にあって、国の行末を憂い、彼らと同じように勤皇の志を持ってここに会している。


京都霊山清掃奉仕のメンバーや、板垣を顕彰する志のある方々、関西白鴎遺族会の方々と誼を交わし今後の方策を練ることに致しました。


前へ次へ
投稿日:2015/08/15

お問い合わせはこちら