高知新聞(令和6年7月10日)附朝刊

昨日の『高知公園の板垣退助像 清掃』が本日の『高知新聞』朝刊(20面)に掲載されました。


【高知城・板垣像34年ぶり清掃】
-自由民権運動150年・板垣会など-
高知城の板垣退助像を令和6年7月9日、県内外の有志が清掃した。今年は自由民権運動が始まり150年。参加者はピカピカに磨いた像を仰ぎ、運動の指導者の志に思いをはせた。

板垣(1837~1919年)らが、明治政府に国会開設と国民の参政権を求める『民撰議院設立建白書』を提出したのは1874年。これをきっかけに、民権運動が全国に広がった。板垣は1882年、演説後に襲われた際に「板垣死すとも自由は死せず」と言ったことで知られる。

像は1923年、本山白雲が手掛けた初代ができたが、戦中に金属供出され、1956年に再建された。2代目の像は彫塑家・浜口青果作で、銅像の題字を当時の吉田茂首相が揮毫している。


この日の清掃は、NPO法人「板垣会」(中地英彰理事長)が34年ぶりに実施。高知法人会も協力して約30人で行った。高所作業車を使い、台座を含めた高さ6mの像に水をかけ、たわしでゴシゴシと汚れを落とした。

一般社団法人板垣退助先生顕彰会の理事長で、板垣退助玄孫である高岡功太郎さん(50)は、板垣退助は「『板垣死すとも…』の言葉で知られますが、最近は具体的に何をしたか知らない人も増えました」と語り「これを機に知ってほしい」。中地理事長も「土佐人が運動の中心だったことを伝えたい」と話した。板垣会は7月16日午後3時から、板垣の生誕地に建つ高野寺(高知市本町2丁目)で106回忌法要を営む。(村瀬佐保)


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投稿日:2024/07/10

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