【板垣退助の志】薨去百年記念展へ。(令和元年5月30日)

昨年(2018)、板垣退助の百回忌を迎えました。本年(2019)は、板垣退助第101回忌(すなわち百周忌)ということで、高知市立自由民権記念館で企画展『板垣退助の志・薨去百年記念展』が開催されております。


今回は、高知の依光晃一郎先生と一緒に『板垣退助の志』展を見学。
展示内容についてご説明申し上げました。


その後、帯屋町のシアトル系カフェに座を移して、「板垣精神」「尊皇愛国論」についてお話ししました。「板垣退助の志」とは何か。板垣はサムライであり、軍人であり、国防を重視した。板垣が、国防を重視したのは、そもそも「国家」という存在がなくなってしまっては、自由も権利も主張すら出来ないからである。現在の日本は国防に関して脆弱である。脆弱性の原因は現行憲法にある。脆弱性を改め、盤石な国家の枠組みを作るには憲法改正が必須である。


現今の政治家は、国家・国土・人命を何がなんでも守るという気迫が感じられない。 国土が侵略され、国家というものを失ってしまったなら、その上に成り立つ、法制など無価値に等しい。「税金を無駄にしない」「税金を軽くする」も勿論大切だろうが、国家観の極致から俯瞰した時、それで良いのか首をかしげる。「税金は安いほうがいいか、高い方がいいか」を選挙の争点とした時、「大多数の大衆は自分がラクになる方に投票する(現今のギリシャ経済の破綻が好例である)」しかし、「国家として成さざるをえないことがあり、それに財源の確保が必要となる」のであれば、増税もやむを得ない。そもそも国家が無くなってしまったら、税金もへったくれも無い。


明治の政治家・板垣退助は普通選挙に反対した。それは何故か。それは正しく上記の趣旨によるものである。「愛国心の無い者に投票権を与える必要は無い」と。ではどのようにして愛国心があるかを判断するのか。その尺度は「継続観念による」と。


「継続観念」とは日本が永続することを願う精神であり、「天壌無窮に皇室・国家が存在する」ことを考え行動することである。では、何を以ってその人が「継続観念」を持つのかを判断する一つの方策として「戸主選挙制」を主張した。一家の主として、「家」を統率する人は、「国家」を運営する苦労も共感して、重みのある一票を投じてくれるに違いないと。


これらの思いは板垣退助の遺著『立國の大本』に、あますことなく論述されている。選挙公約で、耳ざわりの良い「減税や福祉」などに重点を置いて美辞麗句を並べ、選挙で議席を得た結果、やってくれる政治が、国家の安寧を揺るがす采配であったならば、目もあてられない。いかに危機意識が脆弱である現今の日本であるかを知ってもらいたかった。


板垣精神の集大成となる板垣退助遺著『立國の大本』の内容に関しても話が弾み「これを現代語訳して世の人に広く知って欲しいですね」と語らいあいました。


(追記)その後、私は『立國の大本』の現代語訳に取り組み、翌年にあたる令和2年(2020)2月11日の紀元節の日を以って完成させた。依光先生は、令和4年(2022)3月、高知県香美市長選挙に立候補され見事に当選された。(現職の法光院氏に1768票差・投票率53.82%『高知新聞』より)

すめらみこといやさか、すめらみくにいやさか。


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投稿日:2019/05/30

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