これに先立ち産経新聞のインタビューに応じた佐藤氏は、事件直後の現場で「怒りながら涙を流した」と振り返り、自責の念からこの1年は「大変申し訳ないとの気持ちを持ち続けてきた」と吐露。命懸けの応援に報いるべく、今後は「(安倍氏が)まいた種をしっかり育てる」と語った。
《参院選の投開票日を2日後に控えた昨年7月8日の午前11時半ごろ、佐藤氏は奈良市の近鉄大和西大寺駅前で、安倍氏の応援演説を隣で聴いていた。演説が始まって2分が過ぎた頃、現場は一変した》
その後、安倍先生に駆け寄り「総理、総理」と2回声をかけた。ただ、私の問いかけには答えなかった。怒りと悲しみがごちゃ混ぜになったような感情になった。すぐに男が取り押さえられ、手製の銃のようなものが転がっていたが、それがどういう威力を持つのかは分からなかった。
詳しく覚えていないが、「何でこんなことをするんだ」というようなことを叫んだ記憶がある。安倍先生はかなり厳しい状況で、私は怒りながら涙を流した。
《事件の2日後、佐藤氏は2期目の当選を果たした》
もともと選挙で当選してもうれしさは基本的にない。当選するかどうかよりも、応援してくれた人の期待に応えられるかどうかが大事なので。今回の選挙は安倍先生が命を懸けて応援してくれた。絶対に負けるわけにはいかなかった。結果的に当選し、最低限ご恩に報いることができた。ただ、当選よりも、直後にあった安倍先生の葬儀のことで頭がいっぱいだった。
あれから1年。昭恵夫人、安倍家の皆さん、安倍先生を慕う多くの皆さんに大変申し訳ないとの気持ちを持ち続けてきた。
先生は世論に流されず、必要と思うものは実現させた。北朝鮮による拉致問題で最初は孤軍奮闘だったが、ずっと発信を続けた。政治家は自分の身を守るだけではなく、闘って実現しないとだめだということを学んだ。ご恩に報いるためには、情熱を注いできた政策を私なりにしっかりと引き継いでいかなければと活動してきた1年だった。
《今月1日には、佐藤氏が中心となって安倍氏の慰霊碑を奈良市の三笠霊苑に建立し、除幕した》
安倍先生を慕う多くの皆さんが、手を合わせたり花を手向けたりする場所をどこかに設けなければとの気持ちがずっとあった。何とか一周忌までに形になり、最低限の役目は果たせたかなと思っている。
霊苑は高台の静かな場所で、世界遺産の春日山原始林に囲まれており、心静かに慰霊できる場所。現場の真東で、西大寺付近や奈良盆地を見渡せる。現場からは離れるが、何も仕上がらないよりはずっといい。
安倍先生には、これまでのご指導への感謝とともに「安倍先生がまいた種が育つよう、皆で頑張っていきます」と伝えたい。そして何より報いるためには、しっかり仕事をしていくしかないと思っている。(聞き手 秋山紀浩、奥原慎平)(※オリジナルサイト『産経新聞』電子版はこちら)
関係者ら約50人が参列。同団体理事長で板垣の玄孫・髙岡功太郎氏(49)は「この国の行く末をお守りください」などとする祭文を読み上げた。