本日は靖國神社の「みたま祭り」のため東京へ。
板垣退助の命日も近いため、東京品川の墓所へお墓へお参りしました。高知では先日、拙実家にお越しになられた、土佐史談会の公文豪先生が、板垣退助の壮年期の古写真を記者会見されて公開されました。
30歳代中頃の板垣退助(中央)の写真の複製を手に記者会見する高知近代史研究会の公文豪会長=7月13日午後、高知市
高知市出身の政治家で自由民権運動の指導者・板垣退助(1837-1919)の30歳代中頃の姿を写した古写真が見つかり、高知市立自由民権記念館が13日、その複製を報道陣に公開した。大阪府池田市に居住する板垣の子孫が保管していたもので、公開は初めて。
高知近代史研究会の公文豪会長(63)によると、写真は断髪令前の明治初期に撮影されたとみられ、板垣の壮年期の写真としては「大変貴重」という。
姓 乾)さん(66)(大阪府池田市)が所蔵し、画面左から乾正士の養父(乾正厚)・板垣退助・後藤象二郎と伝えられている。
写真の存在を知った同記念館が、顔の輪郭や唇の形などを基に板垣、後藤と比定。板垣に「まげ」がなく、後藤にはあることなどから、撮影は、ともに30歳代で新政府の一員となった1869~1970年頃らしい。(板垣と後藤の)2人は生家が近く、幼児期は同じ塾で学んだ。その後、朝廷と幕府の融和を目指す公武合体を唱える後藤に対し、板垣は倒幕を主張。維新後は一緒に自由民権運動を進めても、政府に対する立場を異にするなど、反目することが多かった。幕末・維新についての著作が多い文芸評論家・野口武彦さん(75)は「一緒に写真に納まるとは考えにくい2人だが、ともに社交的な性格も相まって、何らかの機会に撮影していてもおかしくない。交流を伝える資料だ」と話す。同記念館は8月1日~31日、写真の複製を展示する。髭の無い板垣退助の写真は現在7種類しか無く、これまで知られていた6種類に加えて今回の写真が7種類目の写真となる。(『讀賣新聞』平成24年(2012)7月13日夕刊)