板垣退助第94回忌 (平成24年7月16日)

本年は板垣退助第94回忌。あと6年で百回忌を迎えるため、何らかのことを行いたいと思い帰郷。板垣の生誕地でもある高知市内の高野寺で慰霊法要が執り行われた。

先日の板垣退助の壮年期の古写真初公開に関する反響は大きく、『高知新聞』では七段抜きの記事となっていた他、高知さんさんテレビ他で報道された。高知市立自由民権記念館へも立ち寄り、6年後の板垣退助百回忌に向けての抱負を語り、ご協力をお願いした。…ただ、行政にとって6年後は遙か未来のことに思えるらしく、我々との温度差は致し方ない。


 (写真(上)は、板垣退助の位牌。あと6年で百回忌を迎えるにも関わらず白木のまま)
財団法人板垣会の会長を永く務めておられる古谷俊夫氏の経営される「サンライズ・ホテル」に一泊。…昔は「旭軒旅館」であった場所で、そのまた昔の江戸時代は「乾内蔵進」の屋敷。板垣退助旧邸(高野寺)の北隣にある。

古谷会長のお話しでは「旧制中学の時代、英語を習った時の教師が乾先生で、おそらく君の御祖父さんに僕は英語を習ったんだよ」とのことであった。確かに城東中学校(追手前高校)の卒業生名簿に祖父の名前は載っている。…が、祖父が担当したかについては、詳しく調べてみないと分からない。


翌日は、高知市内の「安楽寺」にある、乾金右衛門正行夫妻の墓参りへ。乾正行の墓は板垣山には無く、このお寺にあるが、何の案内板も無い為、この場所を知っている人は今や皆無であろう。ちなみにその前列の墓石は、乾市郎兵衛正直の墓で、系譜的には、私の母方の父方の直系先祖の墓である。忘れ去られてしまう前に書籍か何かにまとめておきたいと思っている。

昨日の法要と総会のあとの直会をかねた懇親会では、歴史家の谷是先生から御著と直筆の絵を賜った。酒好きの私に合わせて酒盃を画題とした絵である。謹んでいただき第94回忌の記念としたい。


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投稿日:2012/07/16

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