「国会期成同盟発祥の地」建碑三十周年のつどい(平成27年5月3日)

記念講演【日本国憲法誕生と自由民権の地下水脈】塩田純さん(NHKプロデューサー)


明治13年(1880)、全国の自由民権家が大阪の太融寺に集い、議論の上、愛国社の義士たちを中心として、国会期成同盟が結成されました。1980年代、歴史学会をあげて取り組まれた【自由民権100年記念運動】の一環として、1985年に大阪市の太融寺に「国会期成同盟発祥の地」記念碑が建碑されてから30年。あらためて民主主義運動と、日本国憲法の要点をふりかえります。


と き:平成27年5月3日(日)午後1時~4時
場 所:太融寺(大阪府大阪市北区太融寺町3-7)
地下鉄谷町線「東梅田」下車徒歩7分
主 催:「国会期成同盟発祥の地」建碑30周年のつどい実行委員会



(「国会期成同盟発祥の地」碑前読経、筆者撮影)

午後1時~ 石碑前に於いて、碑前祭、開会挨拶、碑文朗読、「30年をふりかえる」他

午後2時~4時、太融寺本坊内講堂に於いて、ビデオ上映、記念講演:塩田純さん(NHK大型企画開発センター・エグゼクティブ・プロデューサー)演題「『日本国憲法誕生』と自由民権の地下水脈~NHKドキュメンタリー番組制作の中から」

講演をされた塩田純さんは、栃木の自由民権家・塩田奥造の曾孫。


内容は「自由民権運動は東北から始まった」とし、その「自由民権運動によって作られた私擬憲法が、現在の日本国憲法の中に使われいる為、日本国憲法を堅持せねばならない」とするものでした。


「自由は土佐の山間より」の言葉で知られるように、自由民権運動は高知で始まったと認識している私にとっては唖然とするものでした。いや自由民権運動の起源を「征韓論争」するならば、あえて発祥の地を考えるならば東京ではないでしょうか。さらに、現在の日本国憲法は占領国軍の民政局が8日間で作ったこと。日本側の意見は取り入れられず、英語の原文を日本語に翻訳して使用していることなどの成立過程が学術的には明らかになっているにも関わらず…。さらに出席者の中から「本日は『国会期成同盟発祥の地の建碑30周年のつどい』ということで出席したが、その国会期成同盟の精神のもとで成立したのは『帝国憲法』であって、占領国軍によって作られた『日本国憲法』ではないのではないか?」という鋭い質問がありました。この質問は、私が思っている内容と全く同じでしたので、おそらく、本日の出席者の多くの意見だったのではないでしょうか。


この質問には塩田氏は答えず、学術的なことになるので、別の憲法学の先生に質問に答えてもらいたいと、質問をふりましたが、条文の中に似ているものがあるため「影響しているだろう」という言及を避けた回答となりました。


よく見れば、本日の演題でも『日本国憲法誕生』と銘打っていますが、それに続く「地下水脈」と書かれている言葉の意味は【地下水脈のように湧き出たので、源流はわからないが、おそらくそうであろう】とするものでした。


実はこの日、私は主催者側でもある、憲法学の先生から招待を受けて出席をしていたのですが、その後、紹介をされ出席者の前で、一言どうぞと意見を求められてしまいました。しかし、私の考えをその場で述べてしまうと、主催者側の意見と180度異なる意見となってしまう為、論戦となり、収拾がつかなくなってしまうこと。また、私の考えと真逆の意見の会であったとしても、主催された方の労を考えると、面子を潰してしてしまってはならないとの結論に至り。「○○市から来ました○○です」と発言するのに留めました。


当日ご出席の方々に「なんだ、○○の子孫なのに、一つの意見も無い馬鹿なやつだ」と思われたかもしれません。しかし、己の信念を曲げてまでその場に沿った意見を云うことも憚られました。主催者から見れば「○○の子孫もこう言っていた」など、良いように切り取られ加工され転載される可能性があったからです。沈黙だったら切り取りようがありません。…いや沈黙だって「彼は感極って言葉を発しなかったが、おそらく××と言いたかったのであろう」と切り取られる可能性もありますので、むしろ、そのことが勉強になった一日となりました。このことに真剣に取り組むには、社団法人かNPO法人を立ち上げて、しっかり本当の歴史を伝える行動をしていかねば、日本はえらいことになる。


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投稿日:2015/05/03

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