ルイ・ヴィトン現存最古は板垣退助が購入

ルイ・ヴィトンの日本人最古の購入者は誰か。
これまで、高知県は「旧土佐藩士・後藤象二郎である」と紹介してきた。


その根拠とされたのが、ルイ・ヴィトンジャパンの初代社長・秦郷次郎氏の著書の中にある後藤象二郎の顧客カードの写真と説明記事。これによって「後藤象二郎が日本人初の顧客だった」との説が広がった。

しかし、NPO法人板垣会の公文豪 副理事長が、ルイ・ヴィトンジャパンを通じてパリ本店に照会したところ、後藤象二郎の購入記録(1883年1月30日)より3週間早い1883年1月9日に「Itagaki」という人物がシリアルナンバー「7720」の鞄をパリで購入していることが判明した。


このシリアルナンバーは、板垣退助の子孫が保管しているトランクのタグ番号と一致している。


では、板垣退助が日本人初の顧客かと云うと、それよりも5年早い1878年に在仏特命全権公使(旧薩摩藩士)・鮫島尚信の購入記録があり、その次に在仏外務一等書記官・中野健明(旧佐賀藩士)の名があり、板垣退助は日本人としては3番目、後藤象二郎は4番目であることが判明した。

しかしながら、これらの人物の購入した鞄は現存しておらず、実物が現存して確認できるのは板垣退助が最古となる。


高知市立自由民権記念館の『板垣退助愛蔵品展』の冊子によれば、鞄は戦前浅野財閥の地下金庫に他の遺品とともに保管されていた。建物は空襲に遭って焼失したが、地下金庫は無事で、板垣退助の孫・板垣守正の夫人・桃子さんが遺品を引継いだが、老年に及び保管を小山家(退助五女・良子さんの子孫)へお願いした。その後、小山家も保管に労して高知市立自由民権記念館へ寄託したことが記載されている。


私が板垣守正の長男・板垣正明さんに直接お会いした時に伺った話では、桃子さんの手許に遺品が保管されていたのは確かで、ヴィトン鞄のラシャ紙の破損した部分は、正明さん自身が修理して貼りかえられた事もあったとのこと。しかし、保管場所に困り、当時三井物産にお勤めだった小山家の方にお会いして保管をお願いされたそうで、こういった経緯で、貴重な板垣退助の遺品の数々が散逸せず現存することが出来たのである。


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投稿日:2017/06/30

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