東京菩提寺・高源院さまへ百回忌の打合せ。(平成30年2月17日)

本日は板垣退助百回忌の打合せを兼ねて、東京菩提寺・高源院さまへご挨拶に。


高知・菩提寺の高野寺は高野山真言宗ですが、東京菩提寺は禅宗(臨済宗)です。板垣家の宗旨は少々複雑。板垣家の二代目・乾金右衛門源正行の墓があるのは真言宗豊山派の安楽寺。ならば「真言宗豊山派」なのかと云うとさにあらず、長宗我部氏の菩提寺であった瑞応院跡に、明治8年(1875)に再興されたのが、安楽寺であるからだ。事実、板垣山の板垣家歴代墓所にある墓石に梵字の刻まれたものは一つも無い。元々は禅宗で曹洞宗か臨済宗であったらしい。

板垣退助の五代前の先祖・乾正清は、後妻に出雲路信直(初名・板垣民部)の娘を娶った。この出雲路信直は、江戸時代初期の京都下御霊神社神主。神道学者。山崎闇斎門人。八鹽道翁(やしおじのおきな)と号し


た。この代以降、板垣家の当主の墓石に戒名が概ね記されなくなる。「概ね」と書いたのは一つ例外があるからで、退助の祖父・乾庄右衛門源信武の墓石には戒名が彫られている。(但し、東京品川の信武の墓石には戒名が彫られていない)


(高源院過去帳。板垣の戒名が3番目にある)

そして、明治5年編成の板垣退助の戸籍謄本(所謂、壬申戸籍)では、宗派は「神道」で氏神は潮江天満宮と記されている。どうやら、この五代前の先祖あたりから、本当は「神道」で、但し幕府の目を気にかけて、一応、仏式の形態をとっていたらしい。

高知の菩提寺が真言宗である理由は、明治以降、板垣の生誕地の土地が売りに出され、それを、高野山が買い取って寺院を建てた。この寺院が高野寺である。高野寺の歴代住職は、これを縁に感じ、戦前は境内に「板垣会館」を建設。さらに、毎年、7月16


日に、故板垣伯の命日を期して法要を行ってきたからである。今回、東京での板垣百回忌を斎行するため、高源院さまと折衝を行い快諾を得た。50年前の資料などをお渡して、帝都を後にした次第である。


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投稿日:2018/02/17

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