私はこの日を忘れる事は無いだろう。
参議院議員選挙の当日となる、令和4年7月10日(日)
どうしても、この場所に行かねばと思いました。
我が板垣会のメンバーたちに声を掛けて、勿論、突然の事なので、集まれない者もいるのを承知でしたが…。
茹だる様な暑さ。長蛇の列。人びとの想いは皆、やりきれない、切ない、呆然とした、そして、安倍先生のやろうとしていたことを、何としてでも引き継いで、成し遂げねばならないと思う誓い。
雑踏の中で海外のメディアから何故か私が取材されました。安倍先生が非業の最期を遂げられた、今回の事件に対する質問だけかと思ったら多岐に亘る質問でした。
そして、ひとたび憲法改正を口にすれば「戦争を始めるのか」とヒステリックに叫び思考停止となる人に、現在起きている国際社会の矛盾を受け入れる覚悟は微塵も感じられない。
総てを語り尽せないと感じた私は、黒船来航以降、日本の置かれた国際的立場、先の大戦の結果によって作られた、日本に対する不平等な国際的地位。すなわち国連憲章のなかにある敵国条項。一方的に裁かれた東京裁判の結果を受け入れなければならないとされた、サンフランシスコ講和条約。戦勝国によって押し付けられた日本国憲法。国連常任理事国の横暴を止めれない、国際社会の矛盾。台湾有事における日本の対処すべき方法等々を項目別に分けてお話しました。どこまで海外の方々に伝わったか分かりませんが。
昨日、海外メディアの取材にお答えした内容とかなり近い事を書いてくれている人がいました。リンク先に詳しく書かれおり非常に良い記事のため適宜引用させて頂きながら解説。
【板垣退助襲撃事件が何故起きたか】
当時、『東京日日新聞』(以下東日)という、福地源一郎(桜痴)が設立した新聞社がありました。 福地源一郎は、旧江戸幕府幕臣で前大蔵省職員。明治5年(1872)設立したばかりのこの新聞は、板垣退助らの国会開設の運動(自由民権運動)を快く思わず、盛んに飛ばし記事(デマ)を書いて自由民権運動を激しく非難していました。
その東日の記事に【我々(東日)はとても残念な連絡を受けた。先ごろ、某政党の領袖たる某君が、東海道のある場所で演説している中で、天皇を指して『日本人民代理○○君』と言ったというのだ】と書いたのでした。
この記事のズルいのは【連絡を受けた】と伝聞形にして、真偽のソースを逃げていること。そして、【某党の領袖たる某君が○○と言った】と巧みに伏字を使って想像にお任せしますという態度で記事が作成されていること。
要するに確信犯である。
東日の読者にとっては【自由党の総裁の板垣退助が、天皇の事を「○仁くん」と呼んで愚弄し、アメリカのような大統領制の共和政治をはじめて、國體を毀損しようと考えているかのように受け取れる内容の記事でした。
ちなみにこんな三流の記事、勤王の志士として、幕末動乱の時期を東奔西走し、戊辰戦争を官軍を率いて戦った板垣の素顔を知る人なら、全く有り得ないデマだと一蹴できる内容です。
旧幕臣の福地は、板垣の人気が悔しくて、デマと知りながら、ネガティヴキャンペーンを展開したのでした。
その記事を読んだ、相原尚褧は当時28歳の純粋な青年。記事を信じ、そんな国賊は許してはおけないと思い、マスコミのデマに乗せられて犯行に及んだのでした(供述調書より)。
明治天皇陛下が勅使を遣わしてお見舞いあらせられ、さらにお見舞い金の名目で自由民権運動の活動資金を三百円(現在の三百万円)下賜された事で、板垣に対する記事がデマであったことを天下に知らしめたのでした。
東日の新聞記事が原因で、板垣襲撃事件が起きたことは大問題となりました。
福地は謝罪記事を掲載の上、廃刊となりました。(…が、のち社名を変えて復刊し、大阪毎日新聞→現在の毎日新聞となっている)
安倍元首相襲撃事件に関しては、現在、取り調べ中であるので、詳しくは書きませんが、ネガティヴなデマが流され、襲撃を思い立つ人が出るほど煽る人々がいたことは、歴然たる事実です。
さらに、きちんとニュースを選別しておれば引っかかるはずの無いデマを信じ、SNSで発信している人がいました。
先の天皇陛下の御譲位や、元号選定に関しても、「俺はある筋から、確かな事を聞いたが、実は…」的な陰謀論を語り、安倍元首相に対するデマを流している人もいました。必至に説得しようとしましたが、逆に怒られる始末でした。「日本死ね!」や「安倍辞めろ」コールは、常軌を逸しているとしか思えません。
本当に悲しい。
歴史を勉強したとしても【本当の意味で歴史に学ぶ】という精神が無ければ耳に入らないかもしれません。しかし、この事件がきっかけとなってでも、一人でも目覚める人があって欲しいと願っております。
そうでなければ、あまりにも悲しい。悲しすぎる。
デマに惑わされず、ともに我々の国を守っていきましょう。
最後に一首、安倍晋三先生に奉る歌。
今も未(ま)だ 君の魂(たましい)この場所に
存(あ)ると信じて花を獻(たむ)けむ 髙岡功太郎
(追記)この日の献花の様子は『時事通信社』(令和4年8月5日号)で報じられました。
※和歌は引用フリーです。