京都霊山護國神社・新春昇殿参拝(令和5年1月3日)

本日は戊辰戦争の開戦の日。護國の英霊に感謝と哀悼の洵を捧げる思いを共有できる仲間たちと集いました。年頭にあたり京都霊山護國神社へお参りし、太玉串を奉奠。護國の大神に感謝と哀悼の洵(まこと)を捧げました。その後、御指名を賜り代表挨拶を行いました。


一般社団法人板垣退助先生顕彰会理事長・髙岡功太郎でございます。ご指名でございますので、ひと言、年頭の挨拶を申し上げます。

昨年は板垣退助の岐阜遭難140年を迎える節目の年となりました。幕末・明治の初めは天下国家を語り政治を行っていくことは命がけの覚悟が無ければ出来ないことでありました。皆様もご存じの様に、ここ霊山(りょうぜん)の奥津城(おくつき)に眠り、この社に斎(いつ)き奉られております、


坂本龍馬先生・中岡慎太郎先生もまさに、国家のあるべき姿を考え、行動し、そして殉じられた先人なのであります。板垣が岐阜で遭難した明治15年も、まさにそんな時代でありました。その中で、板垣は暗殺などの卑劣な手段を用いるのでは無く、言論を以って、天下国家を語り、より良い選択をして行こうではないかと考え、国会開設を呼び掛けたのであります。

板垣が岐阜で暴漢に刺されてから140年。昨年はその節目の年でありますから、事件の起きました岐阜では大いに注目され、地元の岐阜新聞では「自由の刃」と題して大きな特集記事が毎月組まれ、7月16日の板垣の命日には、板垣の生家跡に建つ「高野寺」で毎年法要が営まれておりますものですから、私も新聞記者さまを高知にご案内し「140年は政治が暗殺の危険と隣合わせの時代でした…」と言うべきコメントも考え用意しておりました。…ところが、その命日を1週間前に控えた、7月8日、安倍先生が、民意を問うべき参議院選挙の真っ最中、しかもまさにその選挙演説を行っている時に、背後から忍び寄った暴漢に銃撃され身罷(みまか)られるという、極めて傷ましい事件が起きてしまったのであります。


板垣の岐阜遭難以来、積み上げてきた、民主主義の根幹が踏み躙られた瞬間でもありました。また、海外に比べて日本は安全であると世界的評価を得られていた信頼が失墜した瞬間でもありました。…しかも、犯人は私事の怨みを何の面識も無い安倍先生に向け、犯行に及んだという、本当に許し難い動機を喋々(ちょうちょう)と述べていると言うではありませんか。皆様、今年の4月には全国で選挙を一斉に実施される「統一地方選挙」が行われます。テロリストによる暴力ではなく、民意を反映させる選挙です。山上(やまがみ)のような、横暴を絶対に許さないということを天下に知らしめようではありませんか。


また、昨年は、地球規模のコロナ禍の危機の中にも関わらず、ロシアによるウクライナ侵略、北朝鮮の核兵器による威嚇、台湾有事を予感させる中国の不穏な動きが起こった年でもありました。ウクライナで起きていることは、遠い異国の出来事ではなく、日本と国境を接する隣国が起こした侵略戦争であります。ロシアが次に欲しい領土は、北海道であり、日本列島そのものです。…にも関わらず、日本の憲法は、世界で最も危機管理能力を有していない「世界一戦争に巻き込まれ易い憲法」と呼ばれています。緊急事態に対応できない欠陥だらけの、戦勝国におしつけられた「詫び証文」を「憲法」の如くに奉り、強制的に利用させられてきました。これが、戦後日本の偽らざる姿なのであります。みなさん、こんな危険なシロモノを子供、孫たちの世代に残留させて良いでしょうか? こんなものが存在したままで、子供や、孫たちの世代に平和な未来が訪れると胸を張って言えるでしょうか? 一刻も早く憲法を改正し、平和で安全に暮らして行ける世の中を取り戻そうではありませんか。


皆様、本日、1月3日は、戊辰戦争が始まった日であります。はからずも日本人同士で戦ったこの戦争は、憎しみあって戦ったものではありません。新しい時代を切り拓く為に、通らざるを得なかった道程(みちのり)であります。そして、その戦いにおいて、板垣退助率いる土佐迅衝隊をはじめ、勤皇の大義を貫かれ、一死を国に捧られ散華された御祭神がお奉りされている尊い御社(みやしろ)なのであります。国を思い礎(いしづえ)なられました御祭神の精神が宿(やど)りますこの御社(みやしろ)で、御祭神の恩頼(みたまのふゆ)を蒙(かがふ)りまして、本年こそは、皇室の弥栄(いやさか)と国家の繁栄、そして平和と安全を取り戻せる社会、二度と山上(やまがみ)のような兇悪な犯人を生み出さない、ロシアのような横暴を許さない、幸せな社会が天地(あめつち)と共に極まり無く続きますよう祈念し、…また、本日ご参集の皆さまの御多幸をご祈念申し上げまして、僭越ではございますが、私の挨拶に代えさせて頂きます。(理事長挨拶)


戊辰戦争の開戦の日、護國の大神に感謝と哀悼の洵を捧げ、思いを共有できる仲間たちと集いました。昨年はいろんな意味で、マスネディアに弊会の活動を取り上げて頂いた一年でした。しかし、多くの場合、発言内容を正確には伝えず、メディアの意向に添うよう、曲解して伝えられたり、意図的に削除、あるいは別の言葉に置き替えられていた場合がありました。しかし、我々はそれら妨害がいかようにあろうとも、一心に至誠を貫き、板垣精神を完遂して参りたいと思っております。(事務局)


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投稿日:2023/01/03

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