(以下引用)
一般社団法人板垣退助先生顕彰会理事長の髙岡功太郎様は「私が板垣の顕彰をしている理由は、私が板垣の玄孫だからである。55年前の昭和43年に佐藤栄作先生が、明治維新100年で板垣50回忌という年だったので、この顕彰会を創設された。板垣が創った愛国公党並びに自由党が今の自民党に受け継がれていることを明らかにするために創られた。
品川の板垣の墓地の横に「板垣死すとも自由は死せず」と佐藤先生が揮毫された石碑がある。その裏には板垣退助先生顕彰会建立と記されている。
当時自民党参議院議員だった寺尾豊先生が会長となって、創設された会で、それを現在私が受け継いで、板垣の百回忌に向けてしっかり顕彰していこうと会を運営してきた。
もう一つは国防である。国防を憲法の中に明記していかなければならない。そのために我々は憲法改正を目指して活動を行っている。今の憲法は板垣がいた時代の憲法から大きく逸脱している。 しかも、GHQによってたった8日間で作られたものである。これを後生大事にしているのは欺瞞であり、日本の国柄に合わないので、変えていかなければならない。憲法学上は無効であるという考え方もあるが、天皇陛下の御名を拝して改正されたものであるので、改正の手続を踏むべきである。
明治維新後に日本人が奮闘したの は不平等条約の改正のためであり、自由民権運動も不平等条約の改正のためであった。幕末と今とで日本の置かれ ている状況はとても似ている。だからこそ、幕末明治の先人に学ぶことがあるのではないかと考えている。
板垣は、五箇条御誓文の第一条の「広く会議を興し万機公論に決すべし」という言葉を基に国会を創った。ところが、自由民権に関する博物館には戦後史観に基づいた展示がされており、例えば板垣が明治憲法の制定に反対したかのような資料映像が流れていた。
しかしそれは史実と違う。なぜならば、国会議事堂にある板垣退助の銅像は、明治憲法制定50周年の記念に建てられたものであり、 憲政の功労者の一人として板垣が選ばれたのである。板垣が本当に言いたかったことは、死ぬ前の著書『立國の大本』に収められている、「日本は侵略國家にあらず」、「社会主義の脅威」である。
そして、「欧米のプロパガンダに気を付けろ」とも言っていた。板垣は、欧米諸国がアジア人を差別し、植民地支配をしていることに対しておかしいと言い、これを責めざるを得ないと言っている。
さらに、我が国は正当防衛の必要性から支那と提携しなければならないにもかかわらず、欧米は我が国が侵略主義を持っていると言って、支那との離間を図ろうとしてきたと指摘した。それを踏まえて「日本は侵略主義にあらず」と述べている。
こうしたことを学校教育で教えてほしい。 「板垣死すとも自由は死せず」という言葉は有名になったが、板垣が死の前に言ったことについて知らない方が多いと思ったので、百回忌に当たって書籍を出版した。
国家のために何をすべきかということを世に問いかけていきたい」と、板垣退助の言葉と日本の取り組むべき課題について語られました。
当日、講演にご参集くださった方々へ進呈致しました『億兆安撫國威宣揚御宸翰謹解』安倍晋三先生追悼一年祭(板垣退助先生第百五回忌)特別版をご希望の方には進呈致します。弊会mail宛てにお問い合わせください。(事務局より)