片岡健吉へ「人之倍苦心仕候」
片岡にあてたこの書簡は慶応二年(一八六六)二月十七日附で、江戸に自費留学中の板垣が「人之倍苦心仕候」と猛勉強している近況を報告。土佐藩に留学延長の願いを出していることを記した上で「今一年も修行致候得」などと、さらに一年江戸留学ができるよう、片岡にも尽力を依頼している。
手紙はこのほか「上野の早咲きの桜が見ごろだが、花見にも行かず勉強している」と書いており、同館の筒井秀一学芸員な「板垣はこの時が三度目の上京で、武士の一般教養などを学んでいたが、それまで無学だった分、苦労していたのだろう」と分析。
また、この手紙の翌年五月二十一日に京都で西郷隆盛らと討幕挙兵を密約していることから「板垣が土佐藩討幕派のリーダーとして政治の表舞台に登場する直前の姿を伝える貴重な史料」としている。
この手紙は、片岡家から大正時代に愛媛県の縁者に渡り、その後、板垣会が入手し高知市の高野寺で保管。昨年、同館の板垣退助展で公開されたのを機に、同会が資料の保存と広く一般に公開するために寄託した。このほか、同会からは大町桂月や後藤象二郎らが板垣に宛てた書簡十五通(巻物二巻分)も合わせて寄託された。
(『高知新聞』平成7年(1995)10月10日附朝刊(21面)より)