大阪・真田山陸軍墓地巡礼 (平成27年5月13日)

本日は大阪・真田山陸軍墓地へ。

日本人が必ず行ってみるべき場所が「靖國神社」であるとすれば、大阪府民ならば必ず行ってみるべき場所がこの「真田山陸軍墓地」ではないだろうか。

大阪に長く住んでいても、この場所を知らない人も多い。「大坂の陣」で真田信繁が籠った場所が「真田丸」であり、その場所が「陸軍墓地」に


なっている。板垣退助は陸軍創設者の一人として歴史に名をとどめているが、その陸軍に属し、応召出征して散華された方々が此処に眠っている。我々は板垣退助百回忌を来るべき年に迎えるにあたり、どうしても、この場所に立寄り慰霊の香華を捧げねばならないと感じたのである。

「真田山陸軍墓地」大阪出身の陸軍の戦歿者のみが埋葬されていると思われがちだが、古い時代のものは、内実、明治以降大阪に移住し、本籍地も大阪に移しているが高知県出身の方や、おそらく大阪の陸軍病院(現・国立病院)で亡くなられた関係で、故郷を離れて此処に埋葬されたらしき方々もおられた。


「明治廿八年九月十六日」台湾で戦歿された方の墓標もあった。この同じ時、私の曾祖父も、近衛兵として「征台之役」に出征している。曾祖父は命を喪わず帰還したので、今の私がいるが、若し戦地で散華していたら、曾祖父の墓標がここにあって、私は生れていない。みれば曾祖父と同じ「乾」の姓であった。この方は、ひょっとしたら、曾祖父と同じ部隊の所属であったかもしれないし、曾祖父が生き残り、この方が散華されたのは、紙一重の差であったかもしれない。そう思うと、見ず知らずの方の墓標であるが、無性に親しみを覚えた。

この方々が命を捧げて戦って下さったお蔭で、今の自分があることも実感できた。この散華された方々も、具体的な「誰か」の為ではなく、見知らぬ「未来の誰か」の為に戦われたのである。
そして、「未来の誰か」の一人である私が、そのことに感謝する為に、此処に来たのである。それが実感できた日となった。ここに来れて良かった。自分は自分一人で生きてこれたのでは無い。先人の尊い犠牲の上にある命なのだ。だから、大切にせねばならないし、先人の想いを踏みにじるようなこともしてはならない。そう感じました。


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投稿日:2015/05/13

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