岐阜・板垣退助先生薨去百年忌大感謝祭

岐阜【平成30年7月21日(土)】板垣退助先生薨去第百年忌大感謝祭へ。


●とき:平成30年7月21日(土)午前10:00(着座)
●ところ:岐阜公園板垣像前(玉串奉奠)
    →ホテルパーク(直会)
  →自民党岐阜市連民間有志の会(役員総会)

●主催:板垣退助先生薨去百年忌記念大感謝祭実行委員会/自由民主党岐阜市連合民間有志の会
●招待参加:一般社団法人板垣退助先生顕彰会
板垣退助先生薨去第百年忌大感謝祭(岐阜)ご案内フライヤー.PDF


自由民主党創始者・板垣退助先生薨去第百年忌大感謝祭

前略、今年も早夏を迎えています。皆様には益々お元気にて御活躍の事と御歓び申し上げます。平素は国家安泰、郷土の発展の為に物心両面より御協力、御支援下さいまして厚く御礼感謝申し上げます。左記の通り、今年は板垣退助先生が亡くなり百年を迎えています。ここで左記の通り大感謝祭を実施する事となりましたのでぜひ出席して頂き、来年の地方選の必勝の祈願もしたいと思いますのでよろしく御願い申し上げ、御案内とさせて頂きます。右平素御礼御案内迄感謝。平成三十年六月吉日
板垣退助先生薨去百年忌大感謝祭実行委員会/自由民主党岐阜市連民間有志の会

 


岐阜・板垣先生百年忌大感謝祭(当日・本会撮影)

岐阜公園は、板垣退助が「自由民権運動」の主導者として全国を遊説し、この岐阜の金華山の麓・神道中教院前で暴漢に襲撃され、有名な【板垣死すとも自由は死せず】との名言を発したゆかりの聖地。
本年は明治維新150年・板垣退助先生の第百年忌の年にあたります。百年を過ぎているので白黒の喪ではなく紅白の感謝の祝いということで、本日は白ネクタイでの参列となりました。
一同、錦の御旗を奉じて戦い、維新回天の大業を成し遂げ勤王に殉じた板垣先生の生涯を偲び、岐阜護國神社宮司さまが祝詞を奏上。参列者は順次、板垣先生の御霊に謹んで感謝と哀悼の洵を捧げ玉串を奉奠。自由民主党の創始者の精神たる「板垣死すとも自由は死せず」の言葉を今も党名に掲げ、自由民権家の精神を連綿と今に引継いでいることが様々な方の祝辞からも述べられました。


板垣薨去を報じた号外(当日参列者に贈呈)

続いて板垣家を代表して高岡理事長からの謝意、来賓挨拶のあと、国会議員野田先生の秘書さまから板垣先生への感謝の祝辞が奉読。遠くは岩手県から板垣岐阜遭難の時に治療にあたった後藤新平先生記念館の前館長さまがご臨席されました。
岐阜板垣会の方々がこの日の為に、板垣伯薨去の時の号外記事と岐阜公園板垣銅像建立時の新聞記事を復刻、また岐阜遭難の時の診断書など貴重なものを復刻して参列者に贈呈されました。県会議員、


県、市会議員諸先生らによる玉串奉奠(本会撮影)

市会議員の諸先生らも続々と参列され、先人の偉業に続かんとする志を述べられました。
澤田会長の挨拶の中でも、「今の日本は、なんでもかんでもアメリカさんの言いなりになって属国のようになっているのではないか。我々の大先輩・板垣先生の偉業に比して、これは大変嘆かわしいことだ」と述べられ、あらためて板垣精神の重要性が説かれました。場所を移して「ホテルパーク」で直会。その後「自由民主党岐阜市連民間有志の会」


澤田会長による板垣精神の重要性についてのお話

役員総会が開かれました。「自民党岐阜市連民間有志の会(通称「岐阜板垣会」)」会長である澤田榮作先生は、現在、岐阜東照宮奉賛会の会長も務められ、板垣退助が日光東照宮を戦火から守った故事から度々日光東照宮をご参詣され、岐阜東照宮の再建事業を進めておられます。

 

高岡理事長も登壇して「明治維新150年・板垣退助百回忌顕彰事業」としての取り組みの進捗などをお話しされ、高知での板垣退助塗り位牌奉納と、高知県での報道の在り方などについて厳しい意見を述べられました。
「板垣死すとも自由は死せず」の理念を広めようとしても、あえてそれらを取り上げようとしない高知県の報道のあり方が、現在、政治に無関心な風潮を作り、国政選挙での投票率低下を招いているのでは


岐阜・板垣先生百年忌大感謝祭(当日・本会撮影)

ないか。ある高知県下の大手新聞社などは、板垣の百回忌より高校野球の取材で忙しいとのこと。また明らかな事実誤認の記事も「本社に了解を取らねばならず、時間がかかる」と返答された。これが高知県の軽薄な世論を形成していっているのではないか。我々は本年(平成30年)、明治維新150年・板垣退助第百回忌を迎えるにあたり、板垣精神を見直そうと『立國の大本』を再版し記者にも贈呈したが、記者にはその価値が分からなかったようだ。これが、全国規模の有力球団を保有する高知県下の大手報道社の反応であると。

150年前、会津の人々が政治に無関心で国難に遭おうとも自分勝手な人ばかりだった。当時の土佐は、下士や庶民の中に勤皇の志がある人が多かったし、上士に向かって忌憚なく天下国家の事を建白する風土があった。大政奉還を進言した坂本龍馬先生然り、『時勢論』を著した中岡慎太郎先生然り、土佐勤王党を作った武市瑞山先生然り。山口の人は草莽の中から天下国家を論じる国士が出て日本を変えた。しかし、今の高知は、国政選挙にも無関心で板垣が150年前に憂慮した状態になりつつある。【立国の大本】が顧りみられなくなった時は【日本の自由が死する時】ではないか。

 

その代表が【保育園落ちた日本死ね】という言葉に表される、八つ当たり、自己中心的な感覚で開き直る軽薄な日本人像ではないだろうか。国難にあおうが自分の命が惜しくて我先に逃げた150年前の会津の民衆のようになっても良いのだろうか。板垣は「国に殉じる覚悟があったのは、わずかに五千人の侍だけだった」と嘆いて一君万民論を唱えたのだ。

 

我々は、7月16日とは別の日で、全国の板垣精神の勃興に尽力する志のある人たちで団結し、参集して板垣顕彰を東京品川の板垣退助墓前で挙行できるよう、より一層頑張ろうではないかと決意とご協力を列席者に呼びかけて締めくくられました。


※近年は陰謀史観が通俗では出回り、「実は『板垣死すとも自由は死せず』などと言っていない」などと言う説がありましたが、結論としては、当時密偵として現場にいた岡本都與吉の探偵調書にもそのことが記されていたため史実であることが確定(※言い回しには数説ある)しましたが、未だに知ったかぶりして「実は言っていない」説を唱える人がおられます。そういう人々にとっては、真実がどうであったかが重要ではなく、「実はこうだった…」という通説と違う異説に興味を示し、国家に勲功のあった人々を貶めてうさ晴らすことが重要なのでしょう。そういう人に限って、板垣のことを少し掘り下げて尋ねてみても知識の無い方々が殆どです。本会では捏造史観の蔓延に警鐘を鳴らし、徹底的に対決して参ります。


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投稿日:2018/07/21

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