板垣退助先生お墓参り(高知)・法要・第百回忌【記念位牌奉納】をいたしました。 板垣家歴代墓所に関してもわかりやすく解説します。
●集合:平成30年7月16日(祝)12:00
●ところ:JR高知駅南口(集合)→板垣家歴代墓所
→高知城板垣像前(記念撮影)
→昼食→高野寺(法要・位牌奉納式)
●一般社団法人板垣退助先生顕彰会
『板垣退助第百回忌法要ご案内フライヤー.PDF』
『板垣退助第百回忌顕彰事業(詳細).PDF』
●法要:平成30年7月16日(祝)
14:30(着座)
●ところ:高知県高知市本町2-3-18
高野寺本坊
●施主:特定非営利活動法人板垣会/一般社団法人板垣退助先生顕彰会
12:00 JR高知駅前(南口)集合
↓タクシー(約20分)
12:20 板垣山の板垣退助墓(参拝)
↓タクシー(約20分)
13:10 (高知城公園)板垣退助銅像前にて記念撮影
↓徒歩5分
高知市内で昼食
↓徒歩5分
14:30 高野寺(着座)
↓
15:00 高野寺(法要開始・位牌奉納式)
↓
16:00 高知板垣会総会(高野寺)
↓徒歩2分
17:00 懇親会
↓
19:00 散会
残念なことは、お墓へお参りされた方々は99%が県外の方で、高知県内での関心の薄さを改めて実感しました。「高知県は偉人がたくさん出すぎて一人一人を大切にしない」と良く言われます。「郷土が生みだした先人を大切にしない」という主義思想は、他府県から見ると全く理解出来ません。
今回の序文で理事長が「板垣退助という人物は、名前は知られていても、何をやった人か知る人は、今やすくない。何をやったか知っている人でも、何の為にそれを行ったか説明できる人はさらに少ない。だからこの本に訓点註釈をつけて再版しようと思った…」と書かれておりますように、板垣退助が何の目的で何を行ったのか本人の口から述べられている必読の書。愛国の思いがつづられた本です。
ご希望の方はmailにてお申し込み下さい。本文は当時のまま歴史的仮名遣いで記載されておりますが、訓点と注釈が振られておりますので、従来の本より読みやすいです。(A5サイズ約80頁)※送料のみ180円お振込頂けるとありがたいです。この活動にご協賛頂ける方のご寄付(一口1000円、何口でも可)もお待ちしております。
戦後、東京の青梅市に板垣退助の銅像が建てられた時、高知では報じられず、10年以上経って高知県下の有力紙が「意外!奥多摩の地に板垣の銅像が建立されていた」と報じました。しかし、実際には青梅市に板垣退助の銅像が建立される時、高知県下のマスコミ各社に連絡したのに「へえ、青梅市に!遠いねえ…」と無関心で記事にしなかったのは、何処の誰なのでしょうか。
しかも、記事の内容は「どこかの物好きが建てたのだろう」というようなノリの軽薄なもので、青梅市の人の思いを踏みにじるものでした。
本年も残念なことに事実確認をせず、極めて軽薄なノリの記事を書いたマスコミの方がおられました。また、記事にすらされなかったマスコミの方もおられました。これらは後世の人が判断すべきことなので、我々は、今はとやかく言うべきことではありませんが、板垣退助が150年前に戊辰戦争で何を見て、何を感じたかを克明に記録し後世に伝えたのと同じように、本年我々が百回忌を挙行するにあたり、誰が板垣顕彰に冷淡であり、誰が心血を注いで応援してくれたのか、どういう反応だったのか、良きにつけ悪しきにつけ、純粋に有りの儘に感じたことを克明に記録し、後世の人の判断材料となるよう、永久不滅に保存していこうと考えております。
※石碑除幕式の詳しい状況は、こちらのページへ。
ここではあえて引用しないが、その事が先日の新聞記事での板垣百回忌に対する何の敬意もない軽薄な文章にも現れていた。短い記事の中で事実誤認した箇所が11ヶ所あった。「人間は間違いを犯す動物である」しかしそうなった場合、どうやってただちに訂正をしたか。しようとしたか。誠意があったのか、無かったのか。それが総てだ。文章は人の心を表す。軽薄な人間は軽薄な文章しか書けない。軽薄な人間は物の見方が軽薄だから、心の籠った文章は書けない。それが偽らざる気持ちである。
私は会のみんな、そして浄財を以って支援して下さった総ての人々の負託を得て会を運営し今日まで生きてきた。私の一挙手一投足は総てこれまで板垣顕彰を行ってきた人々の姿として投影してもらって構わない。さすれば、この軽薄な記事は、我々の会の活動への冒瀆であり、参列者に対する冒瀆であり板垣退助の人生に対する冒瀆ではないだろうか。「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を知っていても、その言葉を噛みしめたことのない人間なのではないだろうか。
板垣の言った「自由」は「自由きまま」にやっていい自由ではない。「愛国心に裏打ちされた中で、国家の在り方を議論する自由」であって、「自由民権」とは「自由きままにやって良い権利」を主張する自由ではない。
高知県が国政選挙で投票率ワースト・ワンだったというのは、高知県人は深刻に受け止めなければならない。新聞記者は、同じ文字数でも如何に有用な情報を伝達できるか心血を注がなければならない。我々はそう信じている。もし異論があるというなら、弊会宛てにmailを欲しい。じっくりと話あおうじゃないか。私は一点の曇りも無い生き方をしてきた。今年は戊辰戦争から150年の節目を迎える。靖國神社のみたま祭には今年も献灯したし、高知の護國神社が荒廃の難にあっているを聞いて奉賛活動もした。坂本龍馬・中岡慎太郎両先生ならびに、土佐藩招魂社のある京都霊山護國神社への清掃奉仕は可能な日に行き続けてもう8年になる。我々は高知を出ても、土佐人たる誇りを片時も忘れたことも無い。けれど、御膝元の高知県がこのていたらくではどうだろう。
高知県は愛国心から教育していった方が良いのではないか。そうでなければ、「国を好くしていこう」という思いは伝わらないし、それが出来なければ、高知県は沈没してゆくだろう。150年前、国難に無関心な会津の民衆を見て思った板垣の憂国の情を汲みとり、考える能力が無ければ必ず高知は滅びるだろう。高知のある人は「百回忌を契機として板垣の業績を広く知ってもらいたい」と述べたが、厳しい言い方をすれば「何故広く知って欲しいのか」という理由を語り「どうやって広く知らせるのか」という具体策も講じなければ、絵に描いた餅と同じではないか。
悲しき哉、これが板垣退助伯第百回忌を迎え我々が高知で得た感想である。(理事長談)
百年(ももとせ)を經(へ)てなほ今も朽ち果てぬ
精神(こゝろ)託(たく)さむ 位牌(ゐはい)の裏に 髙岡功太郎
※和歌は引用フリーです。