京都霊山護國神社の清掃奉仕へ (令和2年8月2日)

本日は京都霊山護國神社の清掃奉仕へ。

毎月第3日曜日に行っている清掃奉仕であるが、8月は大東亜戦争の終結日である15日の参拝者さまに配慮し「終戦日より前に清掃しよう」との趣旨から「8月だけ第1日曜日」に行ってきた。
山中先生を中心として賛同者を募ったこの清掃奉仕の活動は、本年10月を以って丸10年を迎える。弊会にとっては丸9年の活動となる。以来、この活動を通して様々なご縁を賜わり今に至る。



土佐藩招魂社も清掃奉仕。由来板を見ると明治2年9月に創建され、今から約50年前のちょうど明治維新百年・板垣退助五十回忌が斎行された年に再建せられたる由。


以来50年が過ぎ、時節柄、東京の靖國神社へは「密」を避け中々お参り出来ませんが【國の爲、いのち捧げしますらをの、いさを忘るな、時うつれども】の精神で御奉仕致しました。


こちらは、乃木大将にまつわる石碑(左)と、勤皇力士・錣形岩右衛門の顕彰碑(右)。



清掃奉仕の後は、直会をかねて本間さんお手製の珈琲ゼリー、オレンジ・ゼリーで涼をとりました。

私は当日参加者さまの中で御希望の方に、このほど現代語訳を完成させた板垣退助遺著『立國の大本』(現代語訳髙岡功太郎)を無償頒布いたしました。(神社さまからは「みたま祭の手拭い」を頂きました)


清掃奉仕の往復路、我々は八坂神社を通るのですが、いつも中国からの観光客さまでごった返している櫓門に、本日は日曜日だと言うのに、誰一人として観光客さまが居られませんでした。

そのせいか、京都の街並みは地元の人ばかりで、会話は非常にゆったりと、華んなりと時間が過ぎておりました。…勿論、観光面から見れば、中国の方がお越しにならないのは大打撃なのでしょうが、不慮の事態が偶発的に生み出した、日本語しか飛び交わない、しかも、京言葉しか聞こえ無い京都の街並みは、往古にタイムスリップしたかのように、非常に雅やかで風情のある空間となっておりました。


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投稿日:2020/08/02

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