令和4年は板垣退助の岐阜遭難【140周年】にあたる年です。
『岐阜新聞』は『自由と刃』と題して板垣特集を毎月第1日曜版に連載されていますが、それ以外の令和4年3月27日号『岐阜新聞』にも板垣の記事が載りました。
特集記事の内容は板垣退助が、岐阜で遭難する直前(2日前)に宿泊した、脇本陣・林家との交流。書簡は写真のみですが、ざっと流し読みしますと「拝啓、陳者(のぶれば)今回、御當撰之趣(おもむき)、祝賀之極(きわみ)に此有(これあり)。最早御上京に相成申歟(や)、御上京の際は、回顧候噺(はなし)殊度●●、御立寄(おたちより)を願度(ねがいたく)有候相●●●此匆。敬具。三月十二日、林小一郎殿」か。(※●部分は読めませんでした。どなたかご教示下さい)
さて、板垣の生母は「林氏」の「幸子」で、土佐藩士ですが、先祖は美濃の林家の系統。亡妣の思い出と先祖の御縁を感じ【是非逢いたい】と思ったのではなでしょうか。興味が湧きます。