奥州市民劇『新平さんの大風呂敷』(上演延期)


100年先を見通した後藤新平。しかし、その計画があまりにも壮大であることから【大風呂敷】と呼ばれた後藤新平。総参加者140人で後藤新平の生涯を骨太に描く奥州市民劇。【二幕十八場】後藤新平物語。


【後藤新平】(1857-1929)享年72歳
後藤新平は、齋藤實、山崎為徳らと共に水沢・郷の三秀才と呼ばれた。須賀川医学校を経て、医師、内務省衛生局長、台湾総督府民政長官、南満洲鉄道初代総裁、逓信大臣、内・外務大臣、東京市長、ボーイスカウト日本連盟初代総裁、東京放送局(のちのNHK)初代総裁、拓植大学第3代学長、帝都復興院総裁を歴任。自治の精神と青少年の育成に力を注いだ。


【お知らせ】東京でのコロナ蔓延の状況を鑑み、令和5年(2023)2月上演が延期されました



裏面説明(クリックすると拡大できます)

後藤新平は、大伯父と尊称した幕末の蘭学者・高野長英がこの世を去ってから7年目の安政4年6月4日、陸奥国胆沢郡塩釜村(現在の奥州市)水沢吉小路に生まれました。父は留守家家臣の後藤実崇、母は留守家侍医・坂野長安の娘・利恵。
新平は貧しさから身を起こし、医者として行政マンとして、数々の業績を残しました。日清戦争帰還兵23万人余のコレラ検疫、台湾や満洲など海外の開発と経営。首都・東京の改造計画、関東大震災からの復興…。その発想や計画があまりにも大きいことから「大風呂敷」と呼ばれました。百年先を見通したその発想の根源には「子や孫たちに何を残さなければならないか」の精神が熱い血となって流れていました。後藤新平が政界へ転身するきっかけとなったのは、板垣退助が岐阜で刺客に襲われた板垣岐阜遭難事件の時、新平は県令の妨害にも関わらず、決死の覚悟で県境を越えて往診しました。

その時、新平の才能を見抜いた板垣は「一介の医者にしておくのは惜しい男だ。政治家になれば大成するだろう」と語っています。その言葉の通り、後藤新平は政治家に転身し、多くの偉業を成し遂げることになります。



台本の一部(クリックすると拡大できます)

後藤新平の言葉・自治三訣「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいを求めぬよう」の真意は何か。東日本大震災を経験し、新型コロナウイルス禍に生きる今日の私たちに、新平が問いかけるものは何か。幕末から明治、大正、昭和初期まで、激動の時代に生き、近代日本の基礎を築いた後藤新平。その波瀾万丈の生涯を、奥州市民劇として骨太に描きます。ご期待下さい。

【お知らせ】
東京でのコロナ蔓延の状況を鑑み令和5年(2023)2月上演に延期となりました。


●主催:一般財団法人奥州市文化振興財団
●協力:奥州市後藤新平記念館、後藤新平顕彰会、拓植大学
●後援:奥州市、奥州市教育委員会、奥州市芸術文化協会、奥州市観光物産協会、岩手日報社、胆江日日新聞社、岩手日日新聞社、読売新聞東京本社盛岡支局、河北新報社、水沢テレビ、NHK盛岡放送局、奥州エフエム放送、奥州商工会議所、水沢青年会議所、水沢ライオンズクラブ、水沢中央ライオンズクラブ、水沢ロータリークラブ、水沢東ロータリークラブ、岩手ふるさと農業協同組合、藤原書店
●お問い合わせ:奥州市文化会館 TEL0197-22-6622(水曜日休館)
〒023-0003 岩手県奥州市水沢佐倉河字石橋41番地


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投稿日:2022/03/12

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