アカデミー賞の栄えある授賞式の席上で、アメリカのコメディアンであるクリス・ロックが、難病者を揶揄して笑う極めて下品なジョークを発した。
私自身、難病を持ち、若年の頃から難病と闘ってきた者として、このクリス・ロックのジョークに対しては憤怒に堪えない。
アメリカ人は、何故クリス・ロックを糾弾し制裁を加えないのか。それどころか、単なるコメディとしてクリス・ロックを擁護し「暴力を揮った」として、ウィル・スミスを批難しようとしている。これには【表現の自由】との名のもとに言葉の暴力が放置されてきた【アメリカ社会が抱える深い闇】と、それによって歴年累積された【アメリカ社会の歪んだ良識】が含まれていると感じざるを得ない。
一昨年、新型コロナウイルス蔓延下にも関わらず【マスクをするな】と一斉に広報し、マスク着用を呼びかける日本人を嘲笑し、結局は世界的パンデミックを引き起した【アメリカの歪んだ良識】と通ずるものではないだろうか(理事長談)。
拍手喝采となるかと思ったら、アメリカでは「如何なる理由があっても暴力は容認しない」ときた。
はあ?
である。
では、そのまま放置すれば良かったのか。…いや、壇上に上がって「マイクを貸せ」と言って抗議すれば良かったのか。
「気の利いたジョークで返せばいい」との意見もあった。
気の利いたジョーク?
「やあクリス・ロック、君を『GIジェーン2』の俳優にオファーしたいよ。冒頭でズタボロに殺される役だが」とでも返せば良かったのか。会場は沸くかも知れないが、彼の怒りをどれだけ表現出来るだろうか。クリス・ロックは図に乗るだけだろう。
しかし、これが感情的にでは無く【先に手を出した方が不利になる】と言う事も百も承知で、更に【これまでの人生の功績の総てを擲つ覚悟】で、妻の名誉を守ろうとしたのならば、それはそれでウィル・スミスの毅然とした行為は非常に立派であったと思う。
舞台に登って凶器で刺したならば流石にやりすぎだと思う。拳骨で殴っても駄目だろう。絶妙な所が平手打ちではないだろうか。
平手打ちが駄目なら、ハリセンならいいのか、水をぶっ掛けるのならいいのか、と問われるとこれは最早行為の大小では無い。言葉の暴力であっても一生トラウマになる程の傷を負う事がある。
抗癌剤の治療で髪の毛の抜ける人もいる。
「髪は女の命」とも言うではないか。彼女はウィッグでは無く、勇気を持ってありのままの姿を晒した。
それをジョークのネタにして、大衆の中の笑い者にするのは、余りにも酷い。
はあ?
である。
これは、一人のセレブに向けられたジョークでは無く、世界中に難病に苦しむ人々に向けられた嘲笑なのだが。
このような誤った審判を後世に前例として残す愚は避けて欲しいと願う。
かたやクリス・ロックはこれで名を売ってチケットは完売。スタンディングオベーションで迎えられると云う顛末。
昨今のアメリカはLGBTには矢鱈に擁護するが、「難病に苦しむ人々」には手を差し伸べる気配がない。非常に歪な価値観を突き進んでいるように思えてならない。
これが、グローバル・スタンダードだと言われても、そんな常識には絶対に合わせたく無いものだ。
何よりもその価値観の行きつく未来を想像して欲しい。
アメリカ人よ、目を醒ませ!(理事長談)。