難病者を揶揄して笑うアメリカの歪んだ良識(令和4年3月28日)

アカデミー賞の栄えある授賞式の席上で、アメリカのコメディアンであるクリス・ロックが、難病者を揶揄して笑う極めて下品なジョークを発した。


私自身、難病を持ち、若年の頃から難病と闘ってきた者として、このクリス・ロックのジョークに対しては憤怒に堪えない。

アメリカ人は、何故クリス・ロックを糾弾し制裁を加えないのか。それどころか、単なるコメディとしてクリス・ロックを擁護し「暴力を揮った」として、ウィル・スミスを批難しようとしている。これには【表現の自由】との名のもとに言葉の暴力が放置されてきた【アメリカ社会が抱える深い闇】と、それによって歴年累積された【アメリカ社会の歪んだ良識】が含まれていると感じざるを得ない。

一昨年、新型コロナウイルス蔓延下にも関わらず【マスクをするな】と一斉に広報し、マスク着用を呼びかける日本人を嘲笑し、結局は世界的パンデミックを引き起した【アメリカの歪んだ良識】と通ずるものではないだろうか(理事長談)。


クリス・ロックは難病のウィル・スミスの妻を野次る下品なジョークを行った。ウィル・スミスは即座に壇上に上がってクリス・ロックに平手打ちを喰らわした。

拍手喝采となるかと思ったら、アメリカでは「如何なる理由があっても暴力は容認しない」ときた。

はあ?

である。

では、そのまま放置すれば良かったのか。…いや、壇上に上がって「マイクを貸せ」と言って抗議すれば良かったのか。

「気の利いたジョークで返せばいい」との意見もあった。

気の利いたジョーク?

「やあクリス・ロック、君を『GIジェーン2』の俳優にオファーしたいよ。冒頭でズタボロに殺される役だが」とでも返せば良かったのか。会場は沸くかも知れないが、彼の怒りをどれだけ表現出来るだろうか。クリス・ロックは図に乗るだけだろう。


主催者を通じて抗議する方法もあったであろうし、あるいは、その後の受賞スピーチで、声のトーンを落として「先程のクリス・ロック氏のジョークに対して私は言いたい事がある…。(中略)果たして、彼のジョークがこの場で適切だったであろうか。私の一見識に過ぎないかも知れないが、今一度皆んなで考えて欲しい」と紳士的に淡々と彼の批を述べるべきだったと言う意見もある。

しかし、これが感情的にでは無く【先に手を出した方が不利になる】と言う事も百も承知で、更に【これまでの人生の功績の総てを擲つ覚悟】で、妻の名誉を守ろうとしたのならば、それはそれでウィル・スミスの毅然とした行為は非常に立派であったと思う。


勿論、暴力は容認されるべきでは無いし、その代償は負わねばならないだろう。

舞台に登って凶器で刺したならば流石にやりすぎだと思う。拳骨で殴っても駄目だろう。絶妙な所が平手打ちではないだろうか。

平手打ちが駄目なら、ハリセンならいいのか、水をぶっ掛けるのならいいのか、と問われるとこれは最早行為の大小では無い。言葉の暴力であっても一生トラウマになる程の傷を負う事がある。


ウィル・スミスは「私の事ならさて置き、妻の事を言われるのは我慢ならなかったのです」と。
その通り。しかもこれは、ウィル・スミスの妻の事だけでは無い。世界中の同じ病気に苦しんでいる人も、そう思ったのでは無いだろうか。

抗癌剤の治療で髪の毛の抜ける人もいる。

髪は女の命」とも言うではないか。彼女はウィッグでは無く、勇気を持ってありのままの姿を晒した。

それをジョークのネタにして、大衆の中の笑い者にするのは、余りにも酷い。


ある「アメリカ通」なる人物がTVで『アメリカではセレブは揶揄されても構わない』という文化があると解説していた。

はあ?

である。

これは、一人のセレブに向けられたジョークでは無く、世界中に難病に苦しむ人々に向けられた嘲笑なのだが。


(追記)
…ところが、アカデミー賞の主催者はクリス・ロックの咄嗟の気転を賞賛し、ウィル・スミスを処罰しようとしている。アカデミー賞の主催者の判断は、余りにも馬鹿げていると言わざるを得ない。

このような誤った審判を後世に前例として残す愚は避けて欲しいと願う。

かたやクリス・ロックはこれで名を売ってチケットは完売。スタンディングオベーションで迎えられると云う顛末。

昨今のアメリカはLGBTには矢鱈に擁護するが、「難病に苦しむ人々」には手を差し伸べる気配がない。非常に歪な価値観を突き進んでいるように思えてならない。

これが、グローバル・スタンダードだと言われても、そんな常識には絶対に合わせたく無いものだ。
何よりもその価値観の行きつく未来を想像して欲しい。

アメリカ人よ、目を醒ませ!(理事長談)。


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投稿日:2022/03/28

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