国葬では山県有朋の和歌、かつての好敵手伊藤博文の暗殺死に際して詠んだ「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ、今より後の世をいかにせむ」を引用した菅さんの弔辞が印象的で、多くの人々の涙をさそうものでした。
国葬が営まれた9月27日、銃撃現場となった奈良市の近鉄大和西大寺駅前には、早朝から多くの人が訪れ、安倍氏の冥福を祈った。国葬が始まった午後2時頃に合わせて訪れる人も多く、夜になっても手を合わせる人の姿が見られた。明治時代の自由民権家・板垣退助の玄孫の髙岡功太郎さん(48)は、2018年に板垣の百回忌にあわせて新調した位牌の裏に「板垣死すとも自由は死せず」の文言を彫るため、安倍氏に揮毫してもらった縁で、事件現場を訪れた。「この場所に着いて、安倍先生がもう帰ってこないことを改めて実感した」と神妙な表情で語った。奈良県生駒市の会社員桜井純一さん(43)は「国葬に是非があるのはわかるが、最長政権で日本
のために尽力した安倍さんに感謝を伝えたかった」と話した。(『読売新聞』令和4年(2022)9月28日附朝刊(統京奈版)31面より)
また、事件の現場となった奈良では「賛成」か「反対」より、地元でこんな事件が起きてしまって【申し訳ない】と思っておられる方が大半で、奈良を代表する『奈良新聞』でも、それらを反映し哀悼の意を表した紙面づくりとなっておりました。
途中(みちなか)ば 逝(ゆ)ける烈士(ますらを) この場所に
斃(たほ)れし姿(すがた) 永遠(とわ)に忘れじ 髙岡功太郎
事件現場では多くの警察官が警備にあたり、国葬が開始される午後2時ごろには喪服を着て花を手にした人が次々に訪れた。献花台の設置はされなかったため、花を供えた人は手を合わせた後、各自で持ち帰っていた。
安倍氏と同様、演説中に暴漢に襲われた明治時代の自由民権運動の指導者、板垣退助の玄孫にあたる板垣退助先生顕彰会理事長の髙岡功太郎さん(48)は、哀悼の意を表すために現場を訪問。「民意を問うための選挙の最中に亡くなったことは民主政治に対する歴史的暴挙だと思う。事件を風化させず理念を継承し、憲法改正に真剣に取り組んでいきたい」と話した。
奈良市の自営業、東村淳さん(49)は、事件が県内で起こったことに対しては、「県民として申し訳ない」との思いを口にした。国葬については、「亡くなられた方に弔意を示すのは当然のこと、デモなどの反対運動はおかしい。反対派は多くないと思う」と話した。
天理市の会社員、西田裕亮さん(53)は「平和な奈良で事件が起こったことはショックだった。国葬反対などせず静かに送るべきだと思う。経済政策など、道半ばで無念だったと思うが安らかに眠ってほしい」と安倍氏をしのんだ。
さて『奈良新聞』の記事に「安倍氏と同様、演説中に暴漢に襲われた明治時代の自由民権運動の指導者、板垣退助…」とあるの見て、「板垣が岐阜で襲撃されたのは【演説中】ではなく【演説後】だ」と思う人がいたら、完全に勇み足である。板垣は岐阜以外にも暗殺未遂事件があり、その内の一つは「演説中」に襲われている。板垣は明治以降襲われた事件が3件、明治以前は2件あり、判明しているだけでも、生涯で5回以上は刺客に襲われている。『奈良新聞』は「岐阜で…」とは書いていないので、「演説中に襲われた」事件のことを差すとすれば、完全に正しい書き方であることを追記しておきたい。(理事長談)