安倍晋三元総理の国葬に想う (令和4年9月27日)

高知では板垣退助生誕地に安倍先生の国葬遙拝所を設置

本日は安倍晋三元総理の国葬の日。
板垣退助の生れた高知では、板垣の生誕地である「高野寺」で安倍晋三元総理の「国葬」遙拝所が設置され、献花が行われました。


安倍晋三元総理は、自由民主党の総裁であらせられましたが、「自由民主党」の源流を辿ると、板垣退助の創った「愛国公党」ならびに「自由党」になります。板垣退助の行った自由民権運動の政治的後継者が安倍晋三元総理まさにその人でありました。

50年前は、同様の趣旨から明治百年・板垣退助50回忌にあたり時の総裁・佐藤栄作先生から「板垣死すとも…」の揮毫を賜り、これを高知産の石に彫って、品川神社裏(高源院墓地)に石碑として建立しました。明治150年・板垣百回忌の年は、時の総裁・安倍晋三先生から「板垣死すとも…」の揮毫を賜り、これを板垣退助の位牌の裏に彫って、高知・高野寺と東京・高源院の両菩提寺に奉納しました。また、かつての宰相・吉田茂総裁のご尊父は板垣が岐阜で遭難した際の事件現場にいた竹内綱で、吉田茂総裁は高知城の板垣退助像の銅像再建にあたり「板垣退助先生像」の揮毫を賜りました。


板垣退助の為に揮毫を下さった吉田・安倍両宰相が「国葬」となるとは、歴史の奇縁を感じざるを得ません。


以下は民放『高知さんさんテレビ』のニュース映像より。

高知からも哀悼の想いが伝わって参りました。


板垣会は大和西大寺の事件現場から国葬を遙拝

我々大阪板垣会は、安倍晋三元総理の国葬に際し、朝、一番に自民党大阪府連の国葬記帳会場へ行って参りました。会場はすでに外まで伸びる行列が出来ておりました。



続いて大和西大寺の事件現場へ。「危なくないですか」と心配する方々から多数mailを頂きましたが、「安倍先生と同じ場所で死ねるなら本望です」とお答えしました。

そして、7月10日に献花に訪れて以来、この場所へ来ました。遠くからこの場所を眺め、事件の現場となった横断歩道が近づくと、言葉に表せない悲しさが込み上げてきました。

感きわまって、きわまり過ぎてしっかり写真を撮る気もおきず、ただ、ただ茫然と。…なので、例の如くこれみよがしの「行ってきました」的な記念写真はありません。  悲しいです。

事件現場で般若心経を、ゆっくりと丁寧に唱え、深々と頭を垂れました。

途中(みちなか)ば 逝(ゆ)ける烈士(ますらを) この場所に
斃(たほ)れし姿(すがた) 永遠(とわ)に忘れじ  髙岡功太郎


「国葬反対派」は税金の無駄遣いとか言ってますが、安倍先生を喪った日本の損害に比べれば遙かに及ばないのではないでしょうか。今、「国葬」に反対している人は、その価値に気づいた時にきっと後悔すると思います。何億円払ったとしても、もう二度と、安倍先生は戻って来ません。そのことを深く理解して欲しい。

国家に尽され、選挙の演説の最中に銃弾によって殺された。そのあまりにも凄惨な事件を、国をあげて追悼することもできない人々。呆れて情けなくなります。


混み合う時間を避けたので、献花の時のように行列はありませんでしたが、立ち寄って手を合せる人が途絶えることはありませんでした。帰ろうとすると、マスコミ数社から取材の声をかけられ、囲み取材のようになりました。

●税金の無駄遣いと言って「国葬」に反対している人がいるが、安倍先生を喪ったことの方が遙かに大きい日本の損害であること。 ●安倍先生の遺志をしっかり継承して政治に反映させねばならないこと。 ●暗殺犯を主人公にした映画を撮ろうと企てている勢力があるが、模倣犯を生むとんでも無い暴挙であるし、人として倫理にもとる行為であること。 ●「表現の不自由展」などと称して好き放題、何をやっても「表現の自由」だと勘違いしている人々の横暴を許してはならないこと。
●このようなテロ行為を許さない法整備・スパイ防止法の必要性。

などなど愚見を述べました。記事に採用されるかわかりませんが、云うべきことを言って取材を終えました。(追記)翌日の新聞各紙に私のコメントの一片が載りました。(理事長談)

※和歌は引用フリーです。


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投稿日:2022/09/27

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