昨日、弊会が大阪護國神社で斎行いたしました『安倍晋三元総理を偲び桜を観る会』が本日の『産経新聞』朝刊(社会面)に掲載されました。
【『板垣死すとも自由は死せず』-】
明治15(1882)年、自由党の党首として自由民権運動を推進していた板垣退助は岐阜で遊説中に暴漢から襲われた際、こう叫んだとされる。
昨年7月、奈良市で参院選の演説中に安倍晋三元首相が銃撃され死亡したのは、板垣の「岐阜遭難事件」から140年の節目。命がけで国を憂いた2人の政治家を「重ねずにはいられない」として26日、板垣の玄孫(やしゃご)らが大阪市内で安倍氏の慰霊祭を営み、彼らの精神を受け継ぐ決意を新たにした。
昭和43年の板垣の50回忌に安倍氏の大叔父でもある佐藤栄作元首相が名誉総裁となり設立された団体「板垣退助先生顕彰会」が、平成30年の100回忌に合わせ位牌を新調する際、当時の自民党総裁であった安倍氏に依頼した。
「総理の優しいお人柄を垣間見ることができた」。こう振り返るのは、同団体理事長で板垣の玄孫・髙岡功太郎氏(49)。外交など多忙な業務の合間を縫って練習を重ね、「板垣死すとも-」を大きな条幅にしたためたという。「板垣は肉体としては亡くなったが、その精神は滅びない」と髙岡氏。「自由民権運動はある時点で終焉を迎えたと語る人がいるがこれは大きな間違い。自由民権運動は終わってなどいない。この運動の核心部分は自由民主党となって、現在の政党政治に連綿と受け継がれている」と語った。
こうした中、事件の風化を危惧する声がある。事件現場を巡っては、奈良市が付近に慰霊碑の設置などを検討したものの批判的な声を踏まえ、仲川げん市長が昨年、「世論の分断を生んでしまう」として取りやめに。この流れを受け、奈良県内の自民党関係者らが現場近くに「慰霊の場」を設置する動きもある。実際、板垣が襲撃された岐阜市の現場にはモニュメントがあり、140年が経過しても風化を防いでいる。
首相として歴代最長の在任期間となった安倍氏について「客観的にも、国民から最も愛された首相だ」と評する髙岡氏。「事件の重大さを今一度思い返してほしい」と訴えた。(藤木祥平)