【棚倉城落城】に関する案内板の記述問題。(令和7年10月22日)

戊辰戦争・板垣退助ゆかりの場所をたどる巡礼の旅。本日は【棚倉城落城】に関する案内板の記述問題。


板垣退助ら官軍が棚倉を攻めた時、城主・阿部美作守正静らは戦わず【城を自焼して退却】、その為、板垣ら迅衝隊は焼け跡の城近くにある『蓮家寺』に本陣を置いた。

…が現地案内板では戊辰戦争の兵火にかかり…とあり、暗に板垣軍が焼いたかの様に誘導するズルい記述となっている。
また、別の箇所にある『棚倉城下絵図』の案内板にも「参謀板垣退助率いる新政府軍総勢880余名



板垣退助が攻撃して城を焼いたかの様な記述(1)


板垣退助が攻撃して城を焼いたかの様な記述(2)


が大砲六門をもって進軍し、主力を欠く棚倉城は、一日で城下町の一部とともに焼失した」とあり、この文章だけを読めば板垣軍が大砲で砲撃して城を焼いたかの様に錯覚させる記述となっている。

要するに官軍が悪い→日本軍が悪い→天皇に忠義を盡して戦うのは間違いという事を擦り混みたいGHQの戦後史観丸出しの文章になっているし、現に「板垣軍が焼いた」かの様な現地案内板を鵜呑みにして記述した投稿文章がネット上に溢れているので、注意を要する。

これらの文章を見て思うのは、製作者側がうっかり間違えたのではなく、意図的に理論誘導を謀っている点で、サブリミナルに反日精神を醸熟しようとしている点ではないかと危惧する次第。


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投稿日:2025/10/22

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