本日は、奥州白河の長寿院・西軍墓地(旧官修墳墓)を正式参拝。

板垣退助先生に率いられ戦い、東北に散った将兵たちを慰霊するため東北・福島へ。まず初日は白河の長寿院・西軍墓地(旧官修墳墓)をお参り。この白河では戦闘のあった6月に因んで、毎年6月1日に慰霊祭を行っておられます。
髙岡理事長は旧土佐藩の面々を連れて長寿院へ。戦歿者を顕彰する石碑の碑陰には、建立発起人として板垣退助、谷干城らの名が刻まれていました。明治大帝が東北巡幸をされる際に墓所・顕彰

位牌壇にお参りされる髙岡理事長

官軍の位牌壇(反対側にはこの地を治めたお殿様の位牌壇があります)

当時のことを説明してくださるご住職さま

土佐藩奥都城の図面

左より髙岡理事長、ご住職、福岡孝成さま

『慶應四戊辰年閏四月日・官軍戦死過去帳』

板垣退助、大山巌らが建てた『捐躬報國碑』

同碑陰(発起人に板垣退助の名がある)
碑が整備されたとのことで、御巡幸に際し御親拝あらせられたとのこと。境内は今も管理が行き届いており、御住職のお話を聴き、一同香華を手向けました。板垣退助、大山巌らが建てた『捐躬報國碑(えんきゅうほうこくひ)』とは「躬(身=み)」を「捐(捨=すて)」て国に尽くすという意味で「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」や「滅私奉公(めっしほうこう)」に通じる言葉で、板垣精神を現したものでもあります。撰文は有栖川宮熾仁親王。巨大で立派な石碑であります。
当日は板垣退助の玄孫、福岡孝弟の玄孫がお参りに来たとのことで、白河・棚倉では地元の新聞社、2社より取材がありました。
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