
棚倉城の城主・阿部氏は戦わずして城を自焼して退却した。そのため、官軍大将の板垣退助は、蓮家寺を本陣として置くことにした。
慶応4年6月24日〜7月24日まで本陣を置き、三春藩の恭順を受け入れを承諾した歴史的な場所。
迅衝隊士・公文力之助の墓参りと、板垣が本陣とした場所で、ご住職のお母様さまから当時のお話を拝聴。
板垣は先ず各藩に「恭順を促す使者」を送っており、それでも恭順しない場合と、密偵を差し向け「恭順と言いながら」武力を保持して、言動不一致な場合、討伐の軍を動かしているとのこと。
本日、会津からは「語りべ」の方が同席。何と2年前の郡山女子大学の講演にもお越し下さった方
今回、同行して頂いた宗田さん(旧姓関)は、土佐藩のご出身ですが、ご主人が棚倉出身で先祖・宗田クラさんが板垣の給事役を務めたとのこと。
その後、車で実際の板垣の進軍ルートを案内して下さいました。地元の新聞社でも2紙ほど報道された様です。縁深い各位が集まって、往時を偲びました。
当日は板垣退助の玄孫、福岡孝弟の玄孫がお参りに来たとのことで、白河・棚倉では地元の新聞社、2社より取材がありました。