会津若松・戊辰戦争西軍墓地(旧官修墳墓)慰霊祭の後、
会津藩降伏式の場所へ。その後、土佐藩軍監・小笠原唯八(牧野群馬)討死の場所『滝沢本陣』と福岡友三郎討死の場所『滝沢峠』へ。

会津若松での西軍慰霊祭(旧官修墳墓慰霊祭)の後、牧野群馬討死の場所である『滝沢本陣』へ。国指定の重要文化財でありますが、平日とあってか無人(※防犯カメラあり)。
賽銭箱の様な受付にお金を払って、中へ。
小笠原唯八と板垣退助は刎頸の友。そして、高祖父で同じ人物に行きつく親族でもある。…と云う訳で、無人なので思う存分往時を偲ぶ。

滝沢峠(滝沢本陣からは離れた場所にあります)

滝沢本陣(板垣隊からの銃弾かも?)

刀傷は銃撃戦の後の乱戦についたものかな?

これも合戦の時の疵?

本陣の庭

滝沢本陣の外観(農家を接収して本陣としたもの)

滝沢本陣の畳の間

戊辰戦争の銃弾跡
その後、滝沢峠へ。熊が出没したら直ちに車へ戻ることを考えながら、峠へ向かいました。峠には東軍(会津軍)墓所があり、土佐藩の三人で先ずは手を合わせる。…そして、
福岡友三郎以下西軍(土佐藩兵)の戦歿者へ般若心経を唱え、感謝と哀悼の洵を捧げました。写真では分かりにくいですがけっこうな登り坂。
この坂を土佐藩兵は弾丸降り注ぐ中、勇猛果敢に駆け上がり敵陣を突破したのかと感慨無量。
この忠勇を現在の日本人は忘れてしまってはいないだろうか。
勤皇の忠義と日本人の魂を忘れてはいないだろうか。
歴史小説史観のフィクションに毒され、真の歴史を見失っていないだろうか。
我々板垣会は、逆風に曝されようとも真の歴史を探求していくつもりである。
しみじみ考えた秋晴れの佳日でした。
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