
本年は大東亜戦争の終戦から80年。日露戦争戦勝120年。我が家(髙岡理事長の家)の英霊は、明治37年9月2日、日露戦争の遼陽攻略戦で亡くなっているので、今年で間も無く122回忌を迎える。
どういう部隊に所属し亡くなったのか、詳しく知らなかったが、先日、郷里の家を整理している時に祖父と祖父の従兄弟が書き残した詳しい手記を発見。
曰く「明治30年、徴兵検査で甲種合格し、
赫々たる戦果を挙げ、一時はこれを占領せしが、敵は20万の大軍を以て逆襲。これを再び奪還せんと皇軍は三昼三夜、不眠不休で攻略戦を展開する最中、9月2日夜、敵軍の銃弾を浴びて壮絶なる戦死を遂げた」と記載されていた。
年齢は満27歳。
奇しくも9月2日が誕生日だったので、その誕生日に戦死したことになる。辞世は事前に用意していたのか、
千萬(ちよろず)に 幸(さきは)へ有れと 唯逝かむ 吾見ぬ先の 皇國(すめらみくに)に
とあり、勲八等白色桐葉章を授与せられたこと、法名は誠心院義岳峰榮居士であることなどが記載されていた。
先の辞世を私なりに解釈すれば、「私がたとえ死んでも、皇国である日本の未来が素晴らしいものになるならば本懐である」と云う意味であろうか。
本日は長崎の原爆忌。大阪護國神社の清掃奉仕に参加。護國のために散華された英霊、戦禍に斃れられた方々の御霊安らかならんことを祈念し、謹んで清掃致しました。(理事長談)