東京青梅・大東神社参拝(令和7年10月24日)

東京青梅の板垣退助像にお参りしたならば、是非寄らねばと深い畏敬の念を抱き青梅の「大東神社」へ。戦後史観で消された『板垣退助の大楠公精神』を求めて。


昭和20年8月25日、代々木練兵場で天皇陛下に敗戦を詫び、影山庄平塾長代行以下、大東塾生14名が割腹自決を遂げた。

その遺書には清く捧ぐる吾等十四柱の皇魂誓つて無窮に皇城を守らむとしたためられている。『十四士之碑』の周りを取り囲む14の石は各烈士の姿を象ったもの。

境内にある日韓合邦記念塔は、板垣退助の門下生であった頭山満翁の揮毫によるもの。板垣は「日韓合邦」が成った時、「遅きに失したり」と感想を述べたことは著名である。

秋の落ち葉の多い季節にも関わらず、境内は落葉一つなく、芝は綺麗に刈り込まれ、驚くほど完璧に整えられていた。



大東神社の脇鳥居


櫻井の決別



影山正治塾長の奥都城


奥都城背面



頭山満翁の揮毫による「日韓合邦記念塔」


悠仁親王殿下の御生誕を言祝ぎ植樹された髙野槙


そして、小雨の中にも関わらず宮司さまが一つ一つ丁寧に社域を案内してくださった。元自衛官をしておられ、神社と農場を引き継いで管理されておられるとのこと。この場所は靖國神社とともに日本人が一度は訪れねばならぬ場所ではないだろうか。

神前に、高市内閣の誕生を奉告し、天壤無窮の皇統の安寧を祈念し、神社をあとにした次第。


戦後史観で消された『板垣退助の大楠公精神』に関しての詳細は湊川神社社報第16号『あゝ楠公さん』に所収の『板垣退助の大楠公精神』をご覧ください。


前へ次へ
投稿日:2025/10/24

お問い合わせはこちら