明日、11月25日は三島義擧より55年となる節目の日。我々は三島由紀夫・森田必勝両烈士第五十五年慰霊祭に参列のため、大阪護國神社へ。本日は日本青年協議会・大葉勢清英代表を講師にお招きして『三島由紀夫と終戦八十年』と題するお話を拝聴。

板垣退助が戊辰戦争の時に本陣を置いた、尾州徳川藩邸が防衛省本部となり、三島義挙のあった場所となる。板垣退助と云えば現在は「自由民権運動の主導者」としかテレビの解説で云ってくれなくなりましたが、日本陸軍の創設者の一人でもあります。板垣退助が軍事演習・練兵を行なった場所を、三島・森田両烈士は最期の場所とされた。にも拘わらず、三島由紀夫と板垣退助を併せて語られることは極めて少ない。我々はそこに恐るべき戦後の偏向史観を感じざるを得ない。

三島由紀夫・森田必勝両烈士祭壇

祝詞奏上、檄文奉読、義擧時の肉声音源拝聴
「
世におかしなことがあれば、敢然と義を以って起ち、義を以って死するの覚悟」これは板垣精神でもあるし三島精神でもある。板垣は明治維新を成し遂げ、三島先生は昭和義擧を行った。三島先生は自ら楯の会を創り、板垣は立志社の中に自前の軍兵を組織した。ゆえに三島由紀夫の「激文」と板垣退助の「建軍演説」ならびに「脱藩決意書」は等符号で重なるのである。

玉串奉奠

玉串奉奠

(左)髙岡功太郎理事長、(右)西口洋 本部長

直会・浦川明徳先生による司会

直会

憲政殉難之碑

憲政殉難之碑参拝(式典開始にあたって)

式次第と髙岡功太郎理事長の献歌
感謝と哀悼の洵を捧げ玉串を奉奠しました。
【献歌】
市ヶ谷に 散りし男子(をのこ)の 生声(なまごゑ)を
頬(ほほ)濡(ぬ)らし聽き 誓ふ水盃(さかづき)
髙岡功太郎
本日はお招きくださり洵にありがとうございました。(理事長談)
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