(『高知新聞』昭和21年(1946)1月7日附朝刊(2面)より)
進駐軍のマッカーサーは板垣退助の遺著『立國の大本』を焚書指定して閲覧を禁じる一方で、「板垣死すとも自由は死せず」の言葉のみにその人物像を封じ込め、板垣精神を骨抜きにし、実像と全く異なる板垣像を流布させることによって日本精神の解体を目論んだ。この土佐高女で行われた会議では、従来の「教育勅語」と「民主主義」の解釈によるすりあわせが成されたのである。
『立國の大本』が焚書指定された要因は明白で板垣退助による「日本は侵略國家にあらず」という論述や、欧米白人社会による「日本悪玉説」によるプロパガンダへの警鐘、また、彼らが日本精神解体を意図してくるであろうとの予測が、進駐軍にとって不都合であったからに他ならない。