【板垣伯の法要】
憲政の父・板垣退助伯逝いて廿八年(第二十八回忌)。財團法人板垣會では、七月十六日午後一時から高知市中島町の高野寺で法要を営み、式後故伯を偲ぶ懇談會を開催。會館・銅像再建、傳記編纂などを協議する。
(『高知新聞』昭和21年(1946)7月15日附朝刊(2面)より)
●翌7月16日が戦後最初の板垣退助の命日法要となった。記事で「傳記編纂」と、サラっと書かれているが不思議に思われた方もおられるのではないだろうか。戦前に執筆された優れた『板垣退助君略傳』などが既にあるからである。実はこれは
「戦後史観」に基づく板垣像への書き換えに関しての内容であり、先のGHQの指令によるものであることに注意を要する。(※このGHQ検閲版の板垣伝が、今日、我々が見る橋詰延壽版の伝記『板垣退助』であり、誤謬や偏向が多いにも関わらず、現在の自由民権運動に関する公立博物館の展示や、公共放送の番組製作の筋書きにまで影響を与えていることを御存知だろうか。また戦後書かれた板垣の伝記もすべてこれをベースとして編纂・執筆されている)
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