板垣先生記念事業復興計画(昭和29年9月1日)

【板垣先生記念事業復興計画趣意書】
板垣退助先生が我国自由民權の始祖で又其の育ての父であり、憲致の大恩人であることは今更呶々を要しない。晩年身神を顧みず、社会事業に尽された功績も亦遍(あまね)く人の知るところで実に救国済民の世界的先賢であつた。因(よつ)て襄(さき)には帝国議事堂内に伊藤博文、大隈重信諸公と並んで先生の銅像が建立され、「板垣死すとも自由は死せず」との千古の銘言を残して遭難された岐阜市に、又先生が戰災から国宝日光廟を救われた記念地日光にも夫(それ)々(〴〵)銅像が建てられ、先に五十銭紙幣に先生の肖像が載せられ、近くは這次の世界大戰最中、米軍機上から投じた「板垣は居らぬか、福沢は居らぬか」の宣傅ビラを見、或はまた近く日本政府が百円紙幣に先生の肖像を掲げる企劃のあるなど、之(こ)れ全く皆先生の偉業を追憶する内外万人赤心(せきしん)の発露に基く外はない。然(しか)るに先生出生地、吾(わが)高知に在(あ)りては如(いか)何(ん)。高知公園の玄関に偉容を仰ぎ得た銅像は大戰に殉じて国庫に供せられ、先生の生誕地高知市中島町高野寺境内に建設された「板垣会館」は参考品と共に戰災の爲め烏有に帰し、今に尚(なほ)再興し得ない。其上先生の創立された自由の道場「立志社」の跡は既に久しく市の俗巷と化して探るに由なく、又後に「憲政会館」と改称された先生の舊往宅は今や腐朽廢頽に頻(ひん)し、其の他の遺蹟記念碑等亦草莽の裡に委棄されんとし、米軍アクセルソン中佐をして『アメリカのリンカーンにも匹敵する人を』と長嘆息せしめた如きは吾等何の面目ありて先生の威德に答うべき乎(や)。深く戒心の情に堪えぬ。茲に於てか、我が国歩困難の現狀を顧みる暇なく、板垣会同人は廣く江湖に訴え、敢て述上荒廢の諸施設を復舊整備し、傅記を編纂して先生の偉德を顯揚し、以て我国民主的文化の発展と世界の平和に貢献せんとするものである。希くば大方の各位附紙計画予算書御参照の上、奮つて我等の微衷に御賛同を賜らんことを。
昭和二十九年(一九五四)九月 高知県高知市中島町高野寺内
 財團法人板垣会 理事長 野村茂久馬

●顧問
内閣総理大臣・吉田茂、衆議院名誉議員・尾崎行雄、参議参議員・寺尾豊、参議院議員・入交太藏、衆議院議員・林讓治、衆議院議員・長野長廣、衆議院議員・浜田幸雄、衆議院議員・佐竹晴記、元司法大臣・岩村通世、国宝文化財保存委員長・有光次郞、元参議院議員・玉屋喜章、土佐協会理事・山地土佐太郞、文学博士・小嶋祐馬、理学博士・牧野富太郞、理学博士・田中茂穗、米国テキサス実業家・西原淸顯、高知県米穀卸協同組合理事長・西山亀七、株式会社淀川製鋼所社長・宇田耕一

●役員
【理事長】野村茂久馬 【理事】谷信讃、安藝義淸、長尾正元、檜垣正顯、福永久壽衛、嶋村民衛、横山孫一、刈谷幸一、橋詰延壽 【監事】森岡二三、西村寛

【評議員】(順序不同)栗尾結城、嶋田了元、瀨戸元、大野勇、川嶋正件、上原参良、伊藤一郞、宮本迪、山本義孝、林道太郞、下司凍月、町田昌直、大西正男、松岡一陽、織田正敏、中谷貞賴、川村和嘉治、氏原一郞、伴乙衛、高崎市子、永野豊春、橋本亀郞、北村正、渡邊寅吉、秋沢明、坂本重壽、浜田稔、服部久吉、中城淳一郞、中嶋鹿吉、門脇元茂、西川壽惠吉、福田義郞、善波功、山崎正辰、中沢浪治、山崎新市、吉良馬吾、近江川茂利馬、唐岩泰恭、竹崎五郞、山本淳、森本長太郞、衣斐直夫、齊藤琢磨、大石大、浅井茂猪、滝石登鯉、竹崎米吉、柳生義郞、島崎孝彦、浜田正彦、鈴木利茂、松村正太郞、川村源七、和田敬喜、片山環、石丸重義、野老山齊、竹内英省、堅田守正、中嶋及、平尾道雄、馬場敬春、西川淸彦、楠嶋正彦、岩原正雪、池知速水、吉松淸、別府大作、吉川豊水、竹村直治、関田英里、岩川眞澄、片岡健次、大川壽賀、孕石鑄太郞、光内晴、田邊宥藏、森下菅根、小松鼎、中沢民惠、坂本光弘、高橋重親、天野淸三、近森紫郞

事業計画書
●板垣会館の復興
一、先生を中心とし、当時先覺の肖像を掲げその遺德をしのぶ所謂先賢堂とする。
二、先賢の遺墨、遺品、記念物並に憲政の資料等を蒐集陳列保管し文化の殿堂とする。
三、民主自由、地方自治、社会改良、政治批判等政治文化の研究、政治敎育の中心とする。
四、靑年の会合に使し、時に弁論大会等を開催、後進靑年の養成に努め修養道場とする。
五、土佐第一の誇は景色にあらず、産物にあらず維新人傑の輩出にあり、資料を陳列観光の誘致に便ず。
六、廣く一般社会改良並に文化敎育事業に活用。

●銅像の再建
全国五基中最優といわれし元通りのものを舊位置公園入口追手門内に再建する。
●憲政会館の修築
先生関係建築物中現存唯一のもの、震災後腐朽大々的の修理を要する。
(之は元山内容堂公の釣御殿を伯に賜わり、ここに当時の靑年、天下の国士の集合会談したるゆわれの建物)
●其の他舊蹟整理保存
一、高知市潮江新田の舊邸跡
二、先生の誕生地(現高野寺、誕生地の記念碑あり)
三、丸山台(伯の洋行より帰国歓迎の地)
四、自由の松原(板垣伯、谷將軍会談国政を論じたるの地)
五、維新三傑会合の地(伯、西郷、木戸の三傑)
六、立志社の跡
七、先生生家の門(現に比島龍乘院の山門として残存す)
八、板垣家の墓地
●傳記の刊行
先生の傳記小冊は数あれども其の最も精細なるものは宇田滄溟氏の筆になるもの、惜むらくはこの稿、中道に断たれ未だ出版に至らず、之を完成発行せんとす。
●伯の寫眞頒布会

計画予算書
【総額】金壱千五百万円也
【内譯】銅像復舊費(金三百万円也)、会館復舊費(金八百四十万円也)、遺跡保存費(金百万円也)、傳記編纂刊行費(金六十万円也)、遺品蒐集費(金五十万円也)、事務及予備費(金百五十万円也)


この財団法人板垣会は、橋本延寿版『板垣退助』の刊行、高知城の板垣像の再建を初め、伯が自由民権運動の拡大に武器とした弁論にあやかり、昭和二十八年度より毎春一回県下高校生の弁論大会を開催し、第一回は吉田首相寄贈の板垣杯争奪戦を行っている。その他、高知分骨墓の建立および維持管理、七月十六日高野寺での法要、『立國の大本』の再版等を行うことで連綿存続し、高知市立自由民権記念館、ならびに自由民権記念館友の会などと連携を取り合い、高知での板垣精神の継承に寄与してきた。けれど数年前に法律の改正に伴って財団法人としての存続が一時危ぶまれたが、「特定非営利活動法人(NPO法人)板垣会」に組織改編することによって現在に至っている。

平成三十年の板垣百回忌にあたっては高知市神田に『板垣退助謫居の地』の石碑を建立した。【役員】会長・古谷俊夫、副会長・谷(たに)是(ただし)、理事・岡林登志郎、理事・中地英彰、理事・楠正浩、理事・吉澤文治郎、理事・山北忠彦、監事・谷相勝二、監事・小笠原健一、相談役・公文豪(平成三十年七月十六日現在)

(『板垣精神』より)


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投稿日:1954/09/01

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