靖國神社・みたま祭り (平成30年7月13日)

平成30年(2018)は、憲政の功労者である板垣退助が薨去してより百回忌を迎える節目の年。

板垣退助率いる土佐藩・迅衝隊は、御親征東山道先鋒総督府軍として戊辰戦争で身命を懸けて戦い、新撰組を倒し、東北の戦地を駆け巡り、ついに会津藩を降伏なさしめて維新回天の業を成し遂げました。しかのみならず、板垣退助は大日本帝國陸軍の創始者の一人でもあります。慶応3年5月21日、薩摩藩と【薩土討幕の密約】を締結し、


これを翌日、山内容堂に稟申して承認を得るや、谷干城、中岡慎太郎に命じて大坂でアルミニー銃300挺を藩費より購入させ、土佐に戻って、北條流弓隊を廃し、近代的銃砲隊を編成。軍制改革を行い軍事演習・軍隊練兵に着手します。これに呼応して、中岡慎太郎は陸援隊を組織しました。これらの軍隊は


戊辰戦争で勝利した後、旧幕側でかつて戦った相手・大鳥圭介の腹心の沼間守一を教官として招聘し、仏式軍制を取り入れさせました。(板垣が幕臣・深尾政五郎らから学んだ頃は蘭式兵法だったため)
こうして、板垣が創りあげた軍隊は、騎兵、歩兵、砲兵を備えた最新鋭の部隊でありましたが、戊辰戦争後、御親兵として天皇陛下へ献上されました。この「御親兵」が近衛兵となり、近衛師団となり、日本陸軍の基礎となりました。(明治38年、板垣は陸軍省より「帝国陸軍創設の功労者」として、記念品を授与されています)


また、板垣退助が参議であった時代、徴兵令を発布して、国民皆兵の基礎を整え、国防を盤石なものにさせました。板垣退助と言えば、憲政の巨人と称され国会や自民党の起源を創った人物として知られていますが、日本陸軍や徴兵制度を創った功労者の一人であることも、もっと多くの人々に広く知って頂きたいと思っております。


戦後の日本の教育では「軍隊」の存在自体が悪かのように思考停止して教えられてきました。私は子供の頃「戦争を美化するのか」と度々教師から叱られ、悔しい思いを重ねてきました。しかし、真実を知っている者の芽を摘むことは出来ません。それではなぜ征韓論争が起きたのか、なぜ明治六年の政変があったのか、なぜ自由民権運動が起こったのか、四民平均の制を板垣が全国に先駆けて唱え土佐藩が断行したのか、分ったような分からないようなボヤかした話になって終わってしまいます。

恐ろしいことに、今日では「自由民権運動」を単なる社会運動の一つだと思っている人も出はじめています。また板垣を「自由の権利を主張した人」ぐらいのイメージで考えている人も出はじめています。…何故なら教科書では核心部分を排除して教えないからです。それでは到底、板垣の尊皇愛国の精神は伝わらないでしょう。板垣の伝えたかった想いも伝わらないでしょう。我々はそうであってはならないと考えています。自由と安全を守り、より良い社会を構築していくためには、何が必要なのか、皆さまと一緒に今一度しっかり考えていきたいと思っております。


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投稿日:2018/07/13

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