これまで幕末維新の土佐藩の歴史は主に、坂本龍馬、後藤象二郎らの主導による【大政奉還】を基軸とした【薩土盟約】を中心に語られてきました。
特に歴史小説などでは語られることの多い【船中八策】を基に明治維新が成されたと考えておられる人が多いのではないでしょうか。
しかし、歴史研究家・知野文哉ら近年の研究により【船中八策】の原本は存在せず、実際には大正時代に創作されたフィクションであることが明らかになってきました。
そんな!と驚かれる人もおられるかもしれません。
…しかし、実際【船中八策】なる言葉は歴史教科書にも載っておりませんし、アカデミズムの世界では随分前から周知の事実であり、一般とアカデミズムの間では歴史認識に関する大きな乖離が生まれていました。
土佐藩と薩摩藩の間で、坂本龍馬・後藤象二郎らの主導による【大政奉還】を基軸とした【薩土盟約】が結ばれたのは事実ですが、土佐藩と薩摩藩はそれより一ヶ月も早く、しかも【武力討幕】を基軸とした【薩土密約】が結ばれています。
【薩土密約】は、中岡慎太郎が中心となって、乾(板垣)退助、谷干城らと小松帯刀、西郷隆盛らが結んだ軍事同盟です。慶応3年5月21日夜、京都の小松帯刀の寓居(※薩長同盟が結ばれたのと同じ場所)で締結され、翌5月22日、山内容堂の承認を得て、土佐藩は藩費を拠出し、乾退助は谷干城、中岡慎太郎に銃器調達を命じます。中岡慎太郎は、大坂でアルミニー銃300挺を調達し、乾退助は土佐に戻って軍制改革に着手。北條流弓隊を廃止して近代式銃砲隊を組織し練兵を行います。(※『八重の桜』や『西郷どん』などでは【薩土密約】のシーンが再現されていましたので、歴史に詳しい方はご存知だと思いますが…)
一ヶ月遅れて、土佐に戻った後藤らは【大政奉還論】をしきりに主導。山内容堂は、その流れに軌道修正し、以後、藩論は乾退助・中岡慎太郎らの【武力討幕論】を退け、【大政奉還論】が主流となり、藩の重役会議でも「大政奉還」に反対したは退助のみ。退助はついに藩政から失脚してしまいます。
その結果、土佐藩と薩摩藩は、【薩土盟約】と【薩土密約】という相矛盾する二つの軍事同盟を結んだまま、戊辰戦争の緒戦・鳥羽伏見の戦いを迎えます。
従来は、後藤象二郎や山内容堂が、二条城で徳川慶喜の立場を必死に擁護し、土佐藩の参戦を阻止しようとした事ばかりがクローズアップされてきましたが、武力討幕を基軸とした【薩土密約】を山内容堂は承認しており、実際に山田喜久馬、吉松速之助、山地元治、北村長兵衛らの部隊が、この密約を守って参戦しています。
そればかりか、鳥羽伏見の戦いの前哨戦となる、庄内藩による江戸薩摩藩邸焼き打ち事件のきっかけとなった御用盗の
中村勇吉、相楽総蔵らは乾(板垣)退助が、江戸築地の土佐藩邸に匿っていた志士(天狗党の残党・水戸筑波浪士)であり、そのことを山内容堂も承認し、慶應3年10月14日の大政奉還の直前に土佐藩から薩摩藩へ身柄を移管した武力討幕の勢力でした。(これらの経緯は土佐藩士族会会報に所収の『薩土討幕之密約紀念碑建立によせて』などに詳述しております。お読みになりたい方は板垣顕彰会までご連絡下さい)
薩土討幕之密約紀念碑建立除幕式
(明治維新151年・令和元年・板垣退助百周忌)
歴史小説などでは「酔って勤王、醒めては佐幕」と揶揄されがちな山内容堂ですが、幕府と朝廷が並立し容易に物事が動かない現状を打破するため、山内容堂は天皇陛下を中心とした中央集権国家の建設を模索していました。武力行使の強硬策と、武力行使を伴わない大政奉還の策の両論を巧みに使い分けた山内容堂の実像を、最新の研究から描く番組となる予定です。
板垣は土佐藩のキーマンとして登場します。従来、板垣を特集とする番組の場合には、江戸時代〜戊辰戦争に関してはあらすじ程度を駆け足で説明し、明治以降の自由民権活動期をメインに描かれることが多かったのですが、板垣の江戸時代の活躍にスポットが当てられた番組は中々無かったのではないでしょうか。しかし、江戸時代の板垣の行動が分かっていなければ、彼の明治以降の動きも理解出来ないでしょう。
「山内容堂は戊辰戦争で、土佐藩の参戦を阻止しようとしていたのに、なぜ参戦したの?」と疑問に思っておられた方や、「薩土密約」は「西郷と板垣が個人的に結んだ約束で、藩を代表したものではないでしょう?」と思っておられた方々にも必見の内容となっております。
番組は多くの研究者に取材して、真実を掘り起こし構成されているので、詳細は放送をご覧頂ければと思います。
【放送予定】
●NHKBSプレミアム『
英雄たちの選択』山内容堂特集
●放送:令和4年(2022)3月30日(水)20:00~20:59(予定)
●出演:磯田道史(歴史家)・杉浦友紀(アナウンサー)等
前へ・次へ