板垣岐阜遭難140年・安倍元首相追悼献花式(令和4年7月17日)


令和4年(2022)は、憲政の功労者である板垣退助の岐阜遭難事件より140年の節目の年。

岐阜では『岐阜新聞』さまが、本年1月より総力をあげて特集記事を組んで下さっております。4月6日の遭難事件の日は、新学期であったことや新型コロナ・ウイルス蔓延の影響を鑑み何ら記念イベントを行うことが出来ませんでしたので、板垣の命日7月16日の翌日を期して、岐阜公園の板垣退助銅像前で【政治が命がけであった時代を忘れない】ため、玉串拝礼を行うこととなりました。

着々と準備が整う中、7月8日、安倍元首相が参議院選挙の演説をしている最中に、背後から銃撃され、心肺停止(同日急逝)という驚くべきニュースが飛び込んできました。


そのため、急遽予定を変更して、祝詞奏上・玉串奉奠の前に、故安倍元首相に対し追悼の献花が行われることになりました。板垣退助百回忌の際に、安倍首相(当時)より【板垣死すとも自由は死せず】の揮毫を頂いた縁から、献花は一般社団法人板垣退助先生顕彰会 理事長 髙岡功太郎(板垣退助玄孫)が、代表をつとめ式辞を述べました。続く神事でも、板垣会理事長 髙岡功太郎が筆頭玉串を捧げました。


メディアも今回の事件を深刻に受け止めており、当日は『岐阜新聞』、『中日新聞』、『中部日本放送(CBC)』、『東海テレビ』等が取材に訪れました。

上記画像は、中部日本放送(CBC)(令和4年7月17日放送)より。(東海テレビも同様の内容を報じた) 弊会理事長は、テレビ局の取材に対し、平成30年(2018)、安倍先生に揮毫をお願いに行った時、2つの手紙を用意したこと。一つは、端的にお願いしたい内容を列挙したもの。一つはお心に訴えかけるものを用意。50年前の五十回忌の時の事、弊会のこれまでの活動に加えて、国会議事堂の3つの銅像と4つの台座がある事を書き、4つ目の台座には【憲法改正】を成し遂げ、伊藤、大隈、板垣と並ぶ、憲政の功労者として、安倍先生の像が建立されるよう、活動をお支えしたいと思っている旨の言葉で締めくくったとのエピソードを、当時の手紙の控えを見せながら語りました。


(テレビ局)自由民権運動を行った板垣退助に対して、安倍晋三はどのような点が後継者と言えるのか。

(理事長)板垣退助の創始した「愛国公党」ならびに「自由党」が現在の「自由民主党」の起源であることは、言を俟(ま)たないが、板垣といえば「板垣死すとも自由は死せず」の文言とともに、現在では自由民権運動だけが著名となって世間に喧伝されている。しかし、その前に板垣はサムライであり、軍人であり、国防を重視した。

(理事長)板垣は、大日本帝国陸軍の創設者の一人でもある。板垣が御親兵を献上し、それが近衛師団となり、日本陸軍の前身となったのを、ご存知の方も多いと思う。板垣は、明治38年、日本陸軍創設の功労者として記念の品を授与されている。


(理事長)板垣が、国防を重視したのは、そもそも「国家」という存在がなくなってしまっては、自由も権利も主張すら出来ない。現在の日本は国防に関して脆弱である。脆弱性の原因は現行憲法にある。脆弱性を改め、盤石な国家の枠組みを作るには憲法改正が必須である。安倍先生は憲法改正に真剣に取り組んで来られた。これは、板垣精神そのものである。私たちはその意志を引き継ぎ、憲法改正を成し遂げ、真に自由で安全な国家を築きたい。(髙岡功太郎)


ちなみにこの中部日本放送は、昭和38年(1963)8月、理事長の御祖父さまが、板垣退助の孫として放送されて以来59年ぶりの報道となる。当時の貴重な映像は缶箱に入ったフィルムとして残されている。


新聞報道では・・・


(『岐阜新聞』令和4年7月18日附朝刊より)

【自由と民権 今こそ】
板垣遭難140年、岐阜公園で集い。
明治期の1882年に自由民権運動の指導者板垣退助が遊説先の岐阜で暴漢に襲われ負傷した「岐阜遭難事件」。140年の節目にちなんだ集いが17日、事件の現場となった岐阜公園(岐阜市大宮町)で開かれた。子孫を代表して板垣退助の玄孫・髙岡功太郎さん(48)が出席。「遠い昔の出来事で済ませられない。自由と安全を得られる社会を構築していかなければ」と、安倍晋三元首相が参院選



(『岐阜新聞』令和4年7月18日 第1面より)

の街頭演説中に銃撃され死去した事件にも触れつつ語った。

岐阜遭難事件は1882年4月6日、板垣が金華山麓の神道中教院(現在の岐阜公園内)で演説を終え会場を出た時に、短刀を持った男に襲われた。けがを負いながらも発したとされる「板垣死すとも自由は死せず」との言葉が今に伝わる。


髙岡さんは、公園内に立つ板垣の銅像を前に「名言として広く知られているが、どういう状況でなぜ、どんな思いで言ったのかを理解している人は少ない。言葉だけでなく、事件後もひるむことなく自由と民権のために尽くした板垣の生き方や精神こそ語り継がれてほしい」と話す。

髙岡さんが理事長を務める一般社団法人板垣退助先生顕彰会が4年前に新調した板垣の位牌(いはい)には、安倍氏が揮毫(きごう)した文字でこの名言が刻まれている。演説の際の政治家襲撃という点から「安倍元首相の事件を岐阜事件と重ねてしまう部分もある。こんなことは二度と起こってほしくない」と憤り、板垣像に安倍氏を追悼する花束も供えた。

集いは、板垣の命日7月16日に合わせて、県内で顕彰活動を続ける板垣国和さん(77)=可児市=が企画した。同様の集いは、自民党岐阜市連民間有志の会が毎年開いてきたが、澤田榮作会長の死去と新型コロナウイルスの影響で、ここ数年は開いていない。板垣さんは「140年の節目だからこそ何かやらなきゃという思いだった。岐阜での顕彰活動が今後もっと広がれば」と願った。会場には県議や有志の会の会員らが集まり、神事の後に玉串をささげた。



(『中日新聞』令和4年7月18日附朝刊より)

【板垣遭難140年、岐阜公園で集い】
明治時代の自由民権運動の指導者、板垣退助(1837-1919)をしのぶ式典が7月17日、岐阜市の岐阜公園に立つ板垣像の前で開かれた。岐阜で暴漢に刃物で刺された事件から140年の節目に合わせて、事件があった地で参加者が功績に思いをはせた。


板垣は1882年4月6日、金華山麓の神道中教院で演説を終えた後、愛知県教員だった男に短刀で刺され負傷した。その際に「板垣死すとも自由は死せず」と発言したとされる。

可児市の団体「板垣歴史総合研究所」が催し、30人が参加。神事があり、板垣像の前に玉串をささげた。参院選の遊説先で銃撃を受けて死亡した安倍晋三元首相への献花も行われた。

板垣退助の玄孫で、一般社団法人板垣退助先生顕彰会(大阪市)理事長・髙岡功太郎さん(48)は「安全と言われる国で元首相が銃弾に倒れ、危機に直面している。安倍元首相の遺志を引継ぎ、憲法改正を成し遂げ、真に自由と安全を得られる世の中に変えていかないといけないのではないか」と挨拶した。(浜崎陽介)


最後に一首、安倍晋三先生に奉る歌。

愛國(あいこく)の遺志(こゝろ)受け繼ぎ 國民(くにたみ)に
語りし壮士(をのこ) 再(ま)た一人逝(ゆ)く  髙岡功太郎

※和歌は引用フリーです。


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投稿日:2022/07/17

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