難波神社『大和心のつどひ』(令和4年11月12日昼)

本日は吉村伊平先生からのお招きを賜り昇殿参拝、明治天皇御製を奉読。黒坂真先生の記念講演の後、最近の小生の活動を自己紹介などを兼ねて、ひとくだりお話しました。


板垣退助は「君主主義」と「民本主義」は対立せず、親子のように相互に助けあう関係であると述べています。

なぜならば「君主(すめらみこと)」は「国民(おおみたから)」を本として「政治(まつりごと)」を行うからであり、両者は呼び方が違っても究極には同じ処に辿りつくと。そして話した例は仁德天皇の治世における「民の竈の煙」の話でありました。これは『炊煙紀』として著名で、まさにこの


難波神社でお奉りされておられます御祭神なのであります。

板垣精神とは水戸学を源流とする尊皇の精神であり板垣の云う「自由」とは【愛国心】を持って【国のあり方を論ずる自由】であって「自由きまま」な自分勝手な「自由」では無い。さらに云えば板垣にとって「自由」は「手段」であって「目的」ではありません。要約すると板垣退助の行動規範の「軸」は尊皇精神にあること。


板垣が創った代表的なものは【御親兵・政治政党・国会】であるが、その御親兵は近衛師団となり日本陸軍となった。板垣の創った愛国公党ならびに自由党は、現在の自民党の源流である。そして、国会は今も連綿と日本の国家運営をになっている。これらは首尾一貫して、尊皇精神から発せられたものであり、明治維新以降も、板垣は「皇(すめらみこと)」に「勤(いそしむ)」ことに邁進した。板垣のことを論ずるにあたって「自由」という言葉がよく使われるが、これは【愛国心】を持って【国のあり方を論ずる自由】であって「自由きまま」な自分勝手な「自由」では無い。さらに云えば板垣にとって「自由」は「手段」であって「目的」ではない。


(『大和心のつどひ』会長 吉村伊平先生)

(本日ご登壇の黒坂真先生)


…では板垣にとっての「目的」は何か。即答できる人は尠ないのではないだろうか。
板垣にとっての目的とは尊皇。すなわち【天壌無窮の御神勅を奉じ連綿と培われた世界に比類なき歴史と国体を有するこの皇国(すめらみくに)にあって、この我々の国を、まさに永久不滅なる存続と繁栄なさしめることにある】。

…とここまでお話しした時に【その通りだ!】と大きな野太い声が会場に響きました。


皆がふり返ると、声を発せられたのは、後方の席に座って聞いておられた西村眞悟先生でした。


当日は、吉村伊平先生のご尽力のもと、済々多士ご参集のなか、様々な貴重なご縁を賜りましたが、何よりも西村先生のこの一言が小生の心に沁みたのでありました。
ありがとうございました。皇尊弥榮!(理事長談)


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投稿日:2022/11/12

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