板垣退助は「君主主義」と「民本主義」は対立せず、親子のように相互に助けあう関係であると述べています。
なぜならば「君主(すめらみこと)」は「国民(おおみたから)」を本として「政治(まつりごと)」を行うからであり、両者は呼び方が違っても究極には同じ処に辿りつくと。そして話した例は仁德天皇の治世における「民の竈の煙」の話でありました。これは『炊煙紀』として著名で、まさにこの
板垣精神とは水戸学を源流とする尊皇の精神であり板垣の云う「自由」とは【愛国心】を持って【国のあり方を論ずる自由】であって「自由きまま」な自分勝手な「自由」では無い。さらに云えば板垣にとって「自由」は「手段」であって「目的」ではありません。要約すると板垣退助の行動規範の「軸」は尊皇精神にあること。
板垣が創った代表的なものは【御親兵・政治政党・国会】であるが、その御親兵は近衛師団となり日本陸軍となった。板垣の創った愛国公党ならびに自由党は、現在の自民党の源流である。そして、国会は今も連綿と日本の国家運営をになっている。これらは首尾一貫して、尊皇精神から発せられたものであり、明治維新以降も、板垣は「皇(すめらみこと)」に「勤(いそしむ)」ことに邁進した。板垣のことを論ずるにあたって「自由」という言葉がよく使われるが、これは【愛国心】を持って【国のあり方を論ずる自由】であって「自由きまま」な自分勝手な「自由」では無い。さらに云えば板垣にとって「自由」は「手段」であって「目的」ではない。
…とここまでお話しした時に【その通りだ!】と大きな野太い声が会場に響きました。
皆がふり返ると、声を発せられたのは、後方の席に座って聞いておられた西村眞悟先生でした。