板垣退助の社会改良思想と戦後史観(令和4年11月14日)

本日は『板垣退助の社会改良思想と戦後史観』について理事長より解説して頂きます。


戦後史観の間違った解釈では「板垣退助は幕末〜戊辰戦争までは軍事一辺倒だったのに、明治維新以降は、武力を捨て、言論で社会を変える事にしたのだ」と言うものである。

さらに「武力を捨て」に尾鰭がついて「非武装平和論」を称する勢力(自称リベラル)の隠れ蓑にされ悪用されてきたのが、戦後の日本である。

日本を代表する公共放送の特集や、公立の記念館などでもこのような偏向した趣旨によって資料映像が作られ、板垣退助の原像が著しく歪められてきたのである。


…それに伴い、ともすれば『板垣は矛盾した人物である』だの『変節漢だ』などの誤解を生じた。

しかし、板垣退助は「矛盾」を最も嫌った人物であり、それがゆえに「日本は皇国(すめらみこくに)であるにも関わらず、摂関政治から始まり、武家政権が覇勢して天皇(すめらみこと)の権威を蹂躙している」ことが許せなかった。(この「矛盾嫌い」は『一代華族論』にも結びついている)

そして、それがゆえに、武力討幕を主張し、戊辰戦争でその言を実行したのである。
にも関わらず戦後史観の誤解に基づき、板垣退助を理解しようとしている人に明確に反論したい。


1.明治維新以降、板垣は武力制圧論を捨てたか?
→否。明治6年の征韓論争では、朝鮮半島を武力でもって攻撃すべしと主張した最右翼であった。

2.自由民権運動以降、板垣は武力制圧論を捨てたか?
→否。民権結社の立志社は志願兵からなる私設の軍隊を組織している。

3.平和な社会を維持する為には、軍隊は不要ではないか?
→否。平和を維持するためにこそ軍隊が必要である。国防が盤石であって初めて平和が維持できる。(※そうでは無いという人は、今日のウクライナの現実を見て欲しい。ウクライナ人の生の声を聞いて欲しい。私は先の11月3日の桃山御陵での臨場講話で、このお話しをしたが、ウクライナの国際政治学者・グレンコ・アンドリー先生とも親しく意見を交わしたところである)

4.板垣退助は本当にそのような事を言っているのか? 社会改良に尽力した人物ではないのか?
社会改良に尽力した人物であることは間違いない。さらにその思想の根底には国防に重きを置いて国家運営を考えた人物であることも間違いない。

5.社会改良と国防は矛盾する価値観ではないか?
→否。両者は全く矛盾しない。詳細は板垣退助遺著『立國の大本』でも述べられている。要約すれば下記の通りとなる。


無政府主義者・社会主義者を排除し、万邦に比類無き萬世一系の皇室を戴くわが日本を天壤無窮に発展繁栄させる為には、家庭・自治体を改良することによって愛国心を育み、国防の要となる忠勇な強兵を育成させることにあると説いた」高知大学名誉教授 田村安興『板垣退助の社会改良思想』より(所収『板垣会』会報第6号)


要するに、板垣退助は生涯にわたって軍人であり、「武力を捨て」たことなど一度もなく、国防を基礎として国家運営を考えた人物であった。そして、徹頭徹尾その信念を貫いた生き方をしたのが板垣退助であった。さらにその事は当たり前のように戦前までは連綿と伝えられ語られてきた。

ゆえに「明治維新前と後で180度意見を変えた」だの、司馬遼太郎などに代表される板垣論評「軍人としては才能があったのに、軍人を辞めて他のことをやり始めた人物」などは非常に薄っぺらい表面しか見ていない人物評価であると感じざるを得ない。


上記の内容は、先日の桃山御陵での臨場講話でも述べ、『大和心のつどひ』でもその要約をお話しした。これらは、私が言うまでもなく板垣自身の著書を読んだことのある人なら周知の事実なのである。(※ただし戦後出版された板垣退助の解説書の類いは除く)

にも関わらず、日本を代表する公共放送をはじめ大手新聞社も含めて、戦後史観ではこぞってこれらを隠蔽してきた。なぜ「隠蔽である」と確信もって言えるかというと、私が取材を受けたものに関して、必ずこの話をしているにも関わらず、絶対に隠蔽されてしまうからである。

日本を代表する公共放送の板垣特集でも巧妙にこれらの部分が削除されている。例を上げるなら『その時歴史は動いた』の板垣特集では「征韓論」と言わず「…外交問題でこじれた板垣は政府を辞し…」とサラッとナレーションで流されたのであった。「外交問題でこじれた」のは確かだろうが「外交問題」と抽象的に言われて、一般の人はそれが「征韓論」のことだと直ちに分かるだろうか?貿易摩擦か何かの問題と勘違いされまいか。いや、そう錯覚されることを狙って、製作側はあえてやっているのである。


また一昨年前にTVで放送された板垣退助の特集では「戊辰戦争に従軍したことのある板垣は…」などのナレーションが続き、戊辰戦争のシーンがあっても「新政府軍が…」と突然言い出して板垣と関係の無い戦争であるかのように偽装した演出が続いた。「従軍したことのある」という言い方から板垣が官軍を率いて戦った会津攻めの総大将であったことが想像出来るだろうか。まるで、徴兵で連れて来られたようなニュアンスの言葉が使われていたのが実際である。

例えるならば「日露戦争に従軍したことのある乃木希典は…」とナレーションでサラッと流されたら「おいおい」と思うのではないだろうか。それと同じ事が歴然と罷り通っているのである。


この様な特集番組で、板垣が何のために社会改良を行ったのか、その精神が伝わるとは到底思えない。

いわば板垣の「精神」を置き去りにして、戦後の歴史観が構築されてきたと言っても過言では無い。


また「護憲派」なる勢力が、GHQがたった8日間で作った憲法を後生大事にし「GHQが創ったのではなく植木枝盛が創ったのだ」なる言説を云う人がいる。あるいは『五日市憲法』こそが最も民主的な憲法であり、明治の民権家たちはそれを目指したのだ。GHQが創った憲法でそれが達成されたのだと信じて疑わない人がいる。

私はその方々に云いたい「あなたは、植木枝盛の憲法草案や『五日市憲法』を読んだことがあるのか」と。植木枝盛の憲法草案にも『五日市憲法』にも、軍隊に関する項目があるし、国防に関する規定も明記されている。「…え?」っと驚く人がいたら言いたい。「あなたは、他人が書いた解説書を鵜呑みにして、それが如何に偏向しているか気付いていないではないか」と。


私が何故、今日ここでこの話を述べたのか。理由は一つです。本年安倍元首相が暗殺されて以降、様々なメディアが私を取材しました。総てもメディアに同じ話をしましたが、掲載、放送を見送ったメディア、勝手に内容を書き換えたメディア、反対の意味にもとれる箇所をあえて拾って記事にしたメディアなど様々でした。しかし、メディアはあなたたちだけではない。我々も曲解されない生の声を発信していくツールが今や存在している。それによって、どこがどう偏向されたのか我々も声をあげていく時にきている。そして、板垣退助が国家を蝕む勢力として最も警戒したのが、無政府主義者・社会主義者であった。


5年前、我々が板垣百回忌の記念書籍を編纂するにあたり、その書籍名を『板垣精神』と名付けた理由はここにあります。板垣退助の精神が忘れ去られないよう、より一層活動を活発化していこうではありませんか。皇尊弥榮。(理事長談)


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投稿日:2022/11/14

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