フジテレビ『今夜はナゾトレSP』(令和5年4月4日放送)の出題に協力。

3月26日、弊会が大阪護國神社で斎行いたしました『安倍晋三元総理を偲び桜を観る会』の準備を行う傍ら、フジテレビ『今夜はナゾトレ・スペシャル』の問題作成に関してご協力致しました!この番組、関西では見れませんが、TVerなら見れます。


クイズ問題がカレンダーの日付ごとに出題される番組ですが「4月16日」に因んで第11問目に板垣退助に関する出題が登場。なぜ「4月16日」かと云うと、板垣退助の誕生日が4月16日だからです。「えっ!板垣退助の誕生日って4月17日じゃないの?」と思った人がいたら中々スルドい。「板垣退助の誕生日って5月21日じゃないの?」と思った人もいるかもしれないですね。(事務局)

板垣退助の生年月日に関しては、現在【4月17日生】と人名事典などに定説かのように書かれ異論がないかのように思われているが、板垣退助の東京転籍後の戸籍謄本では【4月16日生】と記載されている。しかし、一方で「4月17日生」と書かれた戸籍謄本も存在する。ここでは、どの時点でこの齟齬が生じたのか、時系列に従って述べたい。(理事長)


戸籍制度が開始された明治5年、板垣本人は参議として東京にいたが、その時に編成された本籍地『高知市中島町44番屋敷』の戸籍謄本では【4月17日生】となっている。そして、その後、屋敷番変更に伴って再編された本籍地『高知市中島町69番屋敷』の戸籍謄本でも【4月17日生】となっている。



明治5年といえば、板垣退助は、征韓論争で世間を賑わしていた頃で、金春芸者の「小清(こせい)」を気に入り落籍して権妻とした。「小清(こせい)」は「せい」と名乗り、当時の戸籍制度では「権妻(妾)」欄もあったため、「せい」は板垣の戸籍に入籍したが、その時既に、板垣の子を妊娠・出産しており、その時に生まれた娘「猿(えん)」と同時に入籍している。



征韓論争で下野した板垣は、『民撰議院設立建白書』を左院に提出するが、容れられざるを知ると、「志」を果すまでは東京の土は踏まぬと同志らと誓いをたてて、東京を去り高知に帰った。ところが、その後、東京に残った「せい」が危篤となり、上京しようとする板垣と山地元治との間で、大論争となった逸話はよく知られている。

その後、明治8年の大阪会議を経て、参議に復帰したが、間もなく辞任し、明治10年、再び高知に帰った。その時に居を定めたのが、高知県土佐郡潮江村潮江新田1番地である。

戸籍謄本では、本籍地『高知市中島町69番屋敷』から『高知県土佐郡潮江村潮江新田1番地』に転籍したのが明治10年10月31日である。

そして、この潮江新田に転籍した時に編成された戸籍に記されたのが【4月16日生】であり、東京に転籍後の戸籍謄本でも【4月16日生まれ】が引き継がれ、薨去するまでの長きに亘って戸籍には【4月16日生】となっている。

要約すると、【4月17日生】と書かれた戸籍は存在するが、「明治5年~明治10年」までの僅か5年間であり、板垣が東京にいる間に作られたもので、明治10年になって誤りに気付き訂正したのではないかと思われる。一方で断言は出来ないが、この僅かな期間だけ「4月17日生」と記されていた戸籍謄本を根拠に、伝記などが書かれ「4月17日生」説が引継がれたのではないだろうか。(理事長)


ところで、このフジテレビの『今夜はナゾトレ』は、結構マニアックな部分まで手を抜かず作っている番組で流石。キチンと【4月16日生まれ】と表記してくれてます。素晴らしい!!

さらに、自由民権運動の出発点が征韓論争であることなども、見れば分かるように画像をチョイスしてあり、バライティー番組でありながら、短い時間と画面の面積の制限がある中で、かなりしっかりとした構成で作られています。懐かしの百円札も写して頂き感激…。(事務局)



さて、クイズ問題では、【猪突猛進な性格で喧嘩が多かった「猪之助」から「一歩、身を退いたぐらいを心掛けよ」と藩主・山内豊範公から言葉を賜り「退助」と改名】と、これまた正しく記載。…実際、出題にあたって「何代目藩主の時か?」や「退助が何歳の時の改名か?」など、番組では放送されない細かい部分もしっかり裏取りしてから出題部分を作っておられましたので、正直感心しました。

ちなみに放送では出ませんでしたが「猪之助」から「退助」への改名は、
●万延元年6月26日(西暦1860年8月12日)
●土佐藩主・山内豊範の時代
●退助は数え24歳(満23歳)の時になります。

また良い番組を作って下さることを期待しております。(事務局)


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投稿日:2023/04/04

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