クイズ問題がカレンダーの日付ごとに出題される番組ですが「4月16日」に因んで第11問目に板垣退助に関する出題が登場。なぜ「4月16日」かと云うと、板垣退助の誕生日が4月16日だからです。「えっ!板垣退助の誕生日って4月17日じゃないの?」と思った人がいたら中々スルドい。「板垣退助の誕生日って5月21日じゃないの?」と思った人もいるかもしれないですね。(事務局)
板垣退助の生年月日に関しては、現在【4月17日生】と人名事典などに定説かのように書かれ異論がないかのように思われているが、板垣退助の東京転籍後の戸籍謄本では【4月16日生】と記載されている。しかし、一方で「4月17日生」と書かれた戸籍謄本も存在する。ここでは、どの時点でこの齟齬が生じたのか、時系列に従って述べたい。(理事長)
その後、明治8年の大阪会議を経て、参議に復帰したが、間もなく辞任し、明治10年、再び高知に帰った。その時に居を定めたのが、高知県土佐郡潮江村潮江新田1番地である。
戸籍謄本では、本籍地『高知市中島町69番屋敷』から『高知県土佐郡潮江村潮江新田1番地』に転籍したのが明治10年10月31日である。
そして、この潮江新田に転籍した時に編成された戸籍に記されたのが【4月16日生】であり、東京に転籍後の戸籍謄本でも【4月16日生まれ】が引き継がれ、薨去するまでの長きに亘って戸籍には【4月16日生】となっている。
要約すると、【4月17日生】と書かれた戸籍は存在するが、「明治5年~明治10年」までの僅か5年間であり、板垣が東京にいる間に作られたもので、明治10年になって誤りに気付き訂正したのではないかと思われる。一方で断言は出来ないが、この僅かな期間だけ「4月17日生」と記されていた戸籍謄本を根拠に、伝記などが書かれ「4月17日生」説が引継がれたのではないだろうか。(理事長)
さらに、自由民権運動の出発点が征韓論争であることなども、見れば分かるように画像をチョイスしてあり、バライティー番組でありながら、短い時間と画面の面積の制限がある中で、かなりしっかりとした構成で作られています。懐かしの百円札も写して頂き感激…。(事務局)
ちなみに放送では出ませんでしたが「猪之助」から「退助」への改名は、
●万延元年6月26日(西暦1860年8月12日)
●土佐藩主・山内豊範の時代
●退助は数え24歳(満23歳)の時になります。
また良い番組を作って下さることを期待しております。(事務局)