令和5年(2023)4月5日附の記事で、板垣退助のことが取り上げられていました。
板垣退助(1837-1919)は、江戸幕府を支持する土佐藩の生まれにもかかわらず、倒幕を目指しました。戊辰戦争で会津藩を攻めた際、武士が戦っている中、民衆が先を争って逃げ出す様子を見て、国民みんなが参加する政治を考えるようになります。
征韓論争に敗れて明治新政府を去り、自由民権運動を展開。岐阜で暴漢に襲われた際の「われ死するとも自由は死せん」の言葉が「板垣死すとも自由は死せず」として伝わっています。
神田蘭さんは板垣の生涯を紹介し、「国会開設という民主主義の基礎を作った」と評価します。