板垣退助が本陣とした棚倉・蓮家寺へ。(令和7年10月22日)

戊辰戦争・板垣退助ゆかりの場所をたどる巡礼の旅。本日は奥州棚倉の蓮家寺へ。


棚倉城の城主・阿部氏は戦わずして城を自焼して退却した。そのため、官軍大将の板垣退助は、蓮家寺を本陣として置くことにした。

慶応4年6月24日〜7月24日まで本陣を置き、三春藩の恭順を受け入れを承諾した歴史的な場所。

迅衝隊士・公文力之助の墓参りと、板垣が本陣とした場所で、ご住職のお母様さまから当時のお話を拝聴。

板垣は先ず各藩に「恭順を促す使者」を送っており、それでも恭順しない場合と、密偵を差し向け「恭順と言いながら」武力を保持して、言動不一致な場合、討伐の軍を動かしているとのこと。
本日、会津からは「語りべ」の方が同席。何と2年前の郡山女子大学の講演にもお越し下さった方



板垣退助が本陣を置いた場所にて


蓮家寺本堂



当時を偲ぶ山門


板垣退助と蓮家寺



東軍側の慰霊碑


棚倉城主の奥様のお墓



板垣退助も通った山門をくぐる


江戸時代に浄財で建立された大仏(間一髪・金属供出から助かった貴重なもの)


と判明。好誼を結んでくださいました。

今回、同行して頂いた宗田さん(旧姓関)は、土佐藩のご出身ですが、ご主人が棚倉出身で先祖・宗田クラさんが板垣の給事役を務めたとのこと。

その後、車で実際の板垣の進軍ルートを案内して下さいました。地元の新聞社でも2紙ほど報道された様です。縁深い各位が集まって、往時を偲びました。

当日は板垣退助の玄孫、福岡孝弟の玄孫がお参りに来たとのことで、白河・棚倉では地元の新聞社、2社より取材がありました。


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投稿日:2025/10/22

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